言い間違いの妙

山口仲美


以下のエッセイは、『中国の蝉は何と鳴く?』(日経BP社)の中の一節です。肩の凝らない楽しい本です。ぜひお楽しみください。

夕方の六時半きっかりに、大学教師のリー(李)さんが私の宿舎に現れた。リーさんとは、六年前からの知り合いである。というのは、六年前に私は女友達と一週間の予定で北京に遊びに来たことがある。その時に、日本語がしゃべれるというので、リーさんが私たちの観光案内役を引き受けてくれたのである。だが、残念ながら、リーさんの日本語力は、あまり高くはなかった。それもそのはず、リーさんが日本に来たのは、四十代半ば過ぎで、中国文学を教えに日本の大学にやってきていただけだから。ちょうど、私が中国に日本語学を教えに行くのと同じようなものなのだ。私たち女二人は、リーさんの格好よさに免じて「ふふ、許す」なんてささやきあって、案内をしてもらったのであった。それ以来、年賀状のやり取りをする間柄であった。
リーさんは、よろず大雑把な中国人にしては珍しく時間に正確な人である。その上、優しい人でもあったので、意気阻喪している私を笑わせ、元気づけてくれた。
その日も、夕食を共にする約束がしてあった。三月中旬だけれど、真冬の寒さが舞い戻っており、凍るような寒さだった。外出するのが辛いので、私は自分の宿舎で食べられるものを適当に用意して、リーさんにも食べてもらうことにした。
 「日本で一番売れているビールよ。」
 私は、リーさんにビールを勧めながら、言葉を継いだ。
 「日本に行って言葉が分からなくて失敗したこととかありますか?」
 実は、前日、私は言葉の問題で恥を掻いてへこんでいた。日本から派遣された日本人教師たちの本屋めぐりツアーに参加していたときのことだ。走っているバスの中から、「中西葯店」という、薬屋の看板が見えた。「葯」が「薬」の簡体字であることを知っていたので、私は少し得意ぶって大声で言った。
 「あれは、日本で言えば、『中西(なかにし)薬局』ってとこかな。でも、北京には『中西薬局』って、妙に多いなあ。チェーン店かしら?」
 運転席の近くにいた、案内役の日本人女性が、私のほうを見て言った。
 「あれは、中国の漢方と西洋の新薬の両方を売っている薬局の意味です。日本のマツモトキヨシみたいな名前の薬屋ではありません。」
 バスに乗っていた日本人教師たちは爆笑し、私は恥ずかしさのあまり赤面した。しばらくバスに揺られているうちに、男性派遣教師が言った。
 「『三環路』を『三 路』なんて、書かれると、読めないよ。『 』が『カンキョウ』の『カン』だったなんて、思えないよ。」
 私の頭の中も、中国の簡体字と日本の新字体と旧字体とがミックスされ、パニック状態に陥っていた。「三環路」の「カン」は、「カンジョウセン」の「カン」だから、確かに「王」ヘンの「環」の字。でも、「カンキョウ」の「カン」の字は? 周囲をめぐる状況の意味だから、シンニュウの「還」の方じゃあなかったっけ。
 「あれぇ、『カンジョウセン』の『カン』の字って、『カンキョウ』の『カン』の字と同じ漢字だっけ?」
 つるっとした顔の日本人男性教師が背後から、通る声で私に言った。
 「しっかりしてくださいよ。同じでしょうが。あなた、国語の先生でしょ!」
 日本人教師たちは、再びどっと声をあげて笑い、私はいっそう傷ついて黙ってうつむいていた。人は、自分の得意分野でしくじると、小さなことであってもいたく傷つくものである。私は、こんな昨日の恥を思い出しながら、リーさんに質問したのだ。
 「あるよ。いっぱい。」
 リーさんは、甘辛の玉子焼きを口に運びながら、ゆっくり話し出した。
 「ある日、洗濯屋に行きました。店員さんが、私の洗濯物を受け取って『お名前は何ですか』と聞きました。私、その日本語が全然分からなかった。それで、黙ってました。それから、『イツデキル』と私は聞きました。そしたら、店員さんが『はい、イツデキルさんですね』って言いました。店にいた人が、一斉に笑いました。」
 私も、食べかけのトマトを危うく口から吹き出しそうになった。
 「それで、どうしたの?」
 目尻から笑いすぎの涙を流しながら、私は聞いた。
 「みんなが笑ったので、店員さんも、すぐに気づいて笑い出しました。後で調べたんですが、日本には『イツ デキル』って言う名前の人はいませんでした。」
 家に帰ってから、一人で辞書を引いて調べている研究者らしいリーさんの姿が目に浮かんだ。リーさんは、それから思い出したように、友達の失敗談も一語一語日本語を考えながら、語ってくれた。
「私の友達、中国人の男性です、その人は、日本の若い女性に中国語を教えていました。おしゃべりに興じて、友達は、時間のたつのも忘れてしまったそうです。時計を見ると、夜の十時。あわてて、友達は、日本語で『もう寝ましょう』と言いました。女性はびっくりして『ダメ』と言いました。友達は、『お休みなさい』の意味で言ったつもりだったんです。それから、その女性にすっかり恐れられ嫌われてしまったって言ってました。」
私は、再び笑い出した。言葉の問題でへこんでいた私の心も、リーさんの話ですっかり癒されていた。
 九時になると、リーさんは礼儀正しく皮ジャンパーを着て帰り支度をして、言った。
 「時間、短いですね。あなたといると、楽しいです。」
 私も、いたずらっぽく、笑いながら言った。
 「じゃあ、『寝ましょう』じゃあなくて、『お休みなさい』。」
 リーさんは、吹き出しながら、部屋を出て行った。
 翌日、リーさんは、私に電話をくれ、前日の夕食の礼を述べてから、言った。
 「あなたとまた『見合い』したいです。」
 私は、くっくと体を笑いでよじりながら、説明した。「見合い」というのは、これから結婚する男女の間で行われる行事で、われわれのような間柄には使わないのだと。リーさんは、「会う」という意味の中国語「相会」「相見」を思い浮かべて『見合い』の言葉を使ったに違いない。
「じゃあ、何て言うのですか?」とリーさんは聞く。
「ただ『会う』でいいのよ」と私。すると、リーさんは言った。
 「あなたと会って、どこかに行きたいです。京劇も見たいです。一緒にご飯食べたいです。でも、寝るのだけはダメです!」