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『今昔物語集』に恋する
山口仲美 |
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<以下の文は、『すらすら読める今昔物語集』(講談社)の序文に書いたものです。興味を持ってくださった方は、ぜひ本文も読んで楽しんでください。>
『今昔物語集』との出会い
わたしの『今昔物語集』との出会いは、大学一年生のときである。『今昔物語集』に「野生の美」「美しい生々しさ」を見た芥川龍之介の発言に触発されたのである。そんな古典なら読んでみたい、そう思ったのある。面白そうな話から拾い読みしていくと、古典とは思えないほど身近に感じられた。衣をすべて剥ぎ取って、本音だけで生きている人間の世界が開かれていた。
見栄も体裁もかなぐり捨てて、どうしたら生きられるかといった、ぎりぎりの所で、精一杯智恵をしぼり、持てる力を最大限発揮して生きていく人間たちに、わたしはこの上なく共感を覚えた。以後、気分が滅入っているとき、こっそり紐解き、元気の素をもらう愛読書になった。
たくましく生きるために
『今昔物語集』には、一〇四〇話の説話が集められているから、いろいろの話がある。釈迦の話あり、霊験譚・蘇生譚あり、親孝行の話あり、奇怪な話ありというぐあいで、さながら説話の万華鏡。三十一巻あるが、特に巻二十二以後にくりひろげられる日本の世俗説話の面白さは、たとえようがない。けれども、巻一から巻五までのインドの説話、巻六から巻十までの中国の説話、巻十一から巻二十までの日本の仏教説話にも、ずいぶん興味深い話がある。
そこで、わたしはインドの話か中国の話か日本の話かとか、仏教説話か世俗説話かといった範疇にとらわれることなく、現代の私たちに生きる力を与えてくれる話を選んでこの本にとりあげることにした。現代人は、わたしを含め、ストレスを受けすぎて、人間の持つ本来の力強さ、生命力が萎えているように思える。多くの人は、しょんぼりと肩を落として道を歩いている。
そんな時に、生きるか死ぬかの瀬戸際で知恵と勇気を振り絞って生きのびていく話、苦しみあがいているうちに明るい光明を見出す話、日常のしくじりを好転させる話、降りかかった災難を弁舌の力や夫婦の力で払いのけていく話、などを読むと、不思議に癒され、生きる力がわいてくる。この本は、そういう話を取り上げた。今をさかのぼること九〇〇年前に生きた人々から、たくましく生きる力を吸収しようというのが、この本の目的なのだ。
『今昔物語集』は、未完の古典
『今昔物語集』は、平安末期に成立した。だが、未完成の古典。作者は、作品を完成させずに、あの世にいってしまった。だから、三十一巻から成るのだけれど、途中の巻八、巻十八、巻二十一の三巻には、説話が集められていない。巻名だけがある。それから、目次に説話の題名だけあって、肝心の本文がないという説話もある。
こういう本文のない説話を除いても、全部で一〇四〇話の説話が集められている。おそらく作者は、一三〇〇くらいの説話を集める予定であったのだろう。
私たちに残された一〇四〇の説話にも、未完成の痕跡が点々と残っている。まず、話の途中で文章が切れてしまい、書きさしにみえる説話が、わずかだが見られる。それから、この本に取り上げる話にも見られるのだが、ところどころが空欄のままになっている。たとえば、
今昔(いまはむかし)、典(てん)薬頭(やくのかみ)にて□と云(いう)止事(やんごと)無(な)き医者(くすし)有(あり)けり(巻二十四第八話)
などと、空欄のままになっているのだ。□で示したところは、原文では空白があるだけなのだが、それは、作者が後で調べて書き込もうとしていた所なのである。ここは、典薬頭の名前を後で記入しようとしていた箇所。人名ばかりではなく、地名とか年月日、あるいは官職名や年齢、あるいはすぐには書けなかった難しい漢字、などの箇所が空白になっている。作者は、それらを書き込むことなくこの世を去ってしまったのである。
作者は誰か?
一〇四〇の説話を「今は昔」とはじめ、「となむ語り伝へたるとや」でおさめて、書き記したのは、誰なのか?
残念ながら、作者は分からない。いろんな説があるけれど、わたしは大寺院に所属していた無名の坊さんという説が、真実に近いように思われる。この無名の坊さんは、高遠にして崇高な仏教徒ではない。人間くさい坊さんだ。それは、『今昔物語集』の説話を熟読してみると、よく分かる。けれども、彼の人間を見る目は、この上なく確かである。だからこそ、こんなに面白い作品が出来たのだ。
坊さんは、寺院内にある身近な図書室によく出入りした。たくさんの書物に目を通しているうちに、彼は一大野望を抱いた。インド・中国・日本という三国の説話を集めて書き記してやろうと。彼は、構想を立て、それに従って説話を集めては、一人コツコツと書き記して行った。一日一話ずつ書いていっても、四年あれば、一〇四〇話の説話を書き記すことができる。
何人か複数の人で執筆しなければ書き切れないほどの説話の分量だと考える人もいるけれど、わたしはそうは思わない。
全くの創作説話を一〇四〇も書くのは、大変である。けれども、『今昔物語集』には数多くのタネ本がある。たとえば、漢文や変体漢文で書き記された『三宝感応要略録』『冥報記』『大慈恩寺三蔵法師伝』『弘賛法華伝』『孝子伝』『日本霊異記』『法華験記』『日本往生極楽記』『注好選』、和文で記された『俊頼髄脳』『伊勢物語』『古今集』『後拾遺集』『道信集』『元輔集』など。これらのタネ本を座右において、独自の筆を加え、独特の魅力を放つ一〇四〇の説話を書いていったのである。偏執狂的で、粘り強く、根気のある人なら、一人で十分に成し遂げられる作業量である。
作者と思しき坊さんは、毎日説話を書いては、数年間を充実して過ごしていたに違いない。だが、もう少しで完成というところで、作業は中断された。坊さんは、病を得たのであろうか? それとも何かよんどころない事情で、中止せざるを得なかったのであろうか? 事実は、謎のベールに包まれ、なんとも気を引く作品なのだ。
では、早速、未完成の古典『今昔物語集』から、選りすぐりの元気の出る話を紹介していくことにしよう。
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