『ちんちん千鳥のなく声は』(学術文庫)のためのまえがき

山口仲美



平成元年に出した『ちんちん千鳥の鳴く声は―日本人が聴いた鳥の声―』が、学術文庫の一冊に加えていただけることになった。なんともうれしい。というのは、この本は、私の情熱を傾けた研究がつめこまれた本だからである。
当時、私は、四五歳。研究者として踏ん張れる時期であった。「がつん」「へろへろ」「しゃきーん」などの擬音語・擬態語の歴史的研究にのめりこんでおり、その一つとして鳥の声を写す言葉の歴史も研究していた。それは、まだ研究の進んでいない分野であったために、数々の新事実を見出し、私は毎日一人で興奮していた。えっ、ニワトリの声は「コケコッコー」じゃあないの? 江戸時代の日本人は、「トーテンコー」なんて聞いていたの? ホント? カラスの声は「カーカー」に決まってるんじゃあないの? そうか、それは現代人の思い込みなのね。鎌倉・室町時代の日本人は、「コカコカ」と聞くんだ。ふふふ、「子か子か」なんて意味を掛けるのね。フクロウは、江戸時代では「ホーホー糊すりおけ」と鳴いて、翌日の天気予報をする鳥だったんだ! ずいぶん身近な鳥だったのね。同じ日本人なのに、時代によって、地方によって、鳥の鳴き声を違った言葉で写している。そして、そこには日本人と鳥との愛情あふれる関係が垣間見えている!
今まで知られていなかった事実を明らかにする論文を夢中で書き続け、ある程度の分量に達した。私は、それらを論文集の形で出すのがいいのか、一般の方にも読んでいただける本の形で出版するのがいいのか迷った。やがて、こんな面白い事実はできるだけ早く多くの人に知ってもらいたいという気持ちが勝ちを占め、一般書として出す決心をした。
私は、早速、少しだけツテのある大手出版社に原稿を持って相談に行った。すると、「売れそうもないから」と、即刻却下されてしまった。考えてみれば、確かに、鳥の鳴き声をうつす言葉の歴史などというテーマでは、いくら一般書として出しても、多くの人が注目して面白がってくれるとは思えない。私は、肩を落として原稿を眺めていた。そんな時に大修館書店の編集者高田信夫さんに出会った。高田さんは、原稿に目を通してくれ、単行本として出版することを快諾してくれた。私は、言葉の背後に見えてくる日本文化の姿に出来るだけ踏み込みつつ、一人でも多くの人に読んでもらいたい一心で一般書に書き換えていった。むろん、誰にも期待されていないという覚悟をしっかりと心に刻んで。
ところが、この本が出版されると、予想外のことが起こった。多くの新聞・雑誌が注目してくれたのである。皮切りは、日本経済新聞であった。「古典文学はもちろん、鳥の研究書や童謡まで目を通し、気づいた鳴き声をピックアップ。そうすると知られざる鳥と人間の物語がほのみえてくる。軽いタッチで書かれているが、まとめるには数年を要した」などと紹介してくれていた。えっ、どうしてこんな本の存在に気づいてくれたのだろう? 私が半信半疑でいると、朝日新聞、読売新聞、東京新聞、産経新聞をはじめ、赤旗、聖教新聞、地方新聞なども、次々に採り上げてくれる。
雑誌でも、「カラスはカアカア、トンビはピーヒョロ、ウグイスならばホーホケキョというのが現代ニッポンの常識である。ところが、山口さんの本によると、…ウグイスなどは平安時代には『ヒトク』なんて今の常識で考えるととんでもない聞き取られ方をしていた」(『週刊文春』)という内容紹介をはじめ、続けざまに採り上げてくれる。
私は、戸惑い、感謝した。そして悟った、地道な研究成果を一般の人も実はすごく知りたがっているのだということを。われわれ研究者は、そうした要望に答えるべく発信していく必要があるのだと。
そんな思い出深い本が学術文庫入りする。うれしくないはずがあろうか。学術文庫にする提案をしてくださったのは、講談社の矢吹俊吉さん、阿佐信一さん、岸田靖子さんである。ここに記して深謝の気持ちの一端を表したい。
そして読者の方には、ますます皆さんの胸の中に飛び込みやすい形になった文庫版をゆったりと楽しんでいただきたいと思う。
二〇〇八年八月一七日       山口仲美