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鶯の声二題
山口仲美
2001/12.9 |
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室町時代から、鶯を家で飼うことが流行った。能楽の大家観阿弥は、「好色・賭博・大酒」の他に「鶯を飼うこと」を戒めている。いかに当時の人々が鶯を飼うことに熱中していたかがわかる。飼ってどうするのか? 良い声で鳴くように躾けるのである。では、鶯は何と鳴くのか?「ホーホケキョー」を鶯の声と思い込んでいる現代人には想像もつかない鳴き声である。それは、「ツーキヒホシ(月日星)」である。
江戸時代になると、現在と同じ「ホーホケキョー」の鳴き声が鶯の声として一般化した。しかし、家で鶯を飼いその美声を愛でることは、前の時代と同じであった。そこで、ここでは鶯の声にからんだ笑い話を二つ紹介したい。ともに、江戸時代の笑話集に出てくる話。一つは、こんな話である。
ある金持ちの息子が鶯を飼い、その初音を楽しみに待っていた。するとようやく鳴き出した。息子は大喜び。ところが「ホケキョー」とは鳴くのだけれど、どうしても「ホーホケキョー」とは鳴かない。当時は仏教が盛んであるから、鶯の鳴き声「ホケキョー」には「法華経」の意味をかけて聞き、人々は尊んでいた。息子は父親の所に行き訴えた。
「おやじさん、この鴬は『ホケキョー』とだけ鳴いて『ホー』の部分を鳴かないんだよ。」
すると、父親は言った。
「そうか、それじゃその鴬に説法でも聞かすか。」
説法を聞くと、鶯も仏法をよくわきまえ、「ホー(法)」と鳴くというのである。
こんな話もある。江戸時代は、ご存じのように日本は鎖国をしていた。通商を許されていたのは、ヨーロッパではオランダだけ。だからオランダ通訳者が大変もてた。
さて、あるところに裕福な旦那がいた。豪邸に来客がやって来た。主人は得意そうに客に言う。
「まあまあ、お上がりください。実はオランダの鶯を手に入れましてね。ちょっと見てください。」
主人は客を奥座敷に案内する。すると立派な鳥篭にオランダの鶯が二羽もいるではないか。客はその豪勢ぶりに驚いて言った。
「いやはや、たいしたもんですなぁ。オランダの鶯が二羽もいる。」
主人は得意満面。すると一羽の鶯が鳴いた。
「スッペラボウ。」
客は、その声を聞いて再び感心して言った。
「さすがオランダの鶯は鳴き声も違うんですなぁ。」
するともう一羽の鶯も鳴いた。
「ホーホケキョー。」
客はその声を聞いて恐る恐る聞いた。
「もしや、これは日本の鴬では?」
主人は、答えた。
「これは通訳ですよ。」
オランダの鶯は「スッペラボー」と鳴き、それをもう一羽のオランダの鶯が「ホーホケキョー」と日本語に通訳して鳴いてみせたのだという。
だが、そもそもオランダに鶯はいない。また、「スッペラボー」は、オランダ語ではなく、現在の「すっからかん」に近い意味の言葉「スッペラポン」のもじりと思われる。おそらく事実は、うまく鳴かせることに失敗した「鳴き損ない」の鴬を主人は騙されて大枚をはたいて買ってしまったに違いない。それを揶揄するかのごとく、鶯は「スッペラボー」と鳴いている。
とまあ、昔はこんな具合いに鶯を飼ってその美声を人々は競い鑑賞していたのである。この風習は、昭和の初期まで続いたが、自然保護の立場から禁止され、今は自然の中にいる鶯の声を耳にするだけになった。
<『邦楽、西洋と比ぶれば』19号 2001年3月 紀尾井邦楽スペシャル掲載エッセイ>
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