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気になる言葉
山口仲美 |
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学生たちに「気になる言葉」について書いてもらいました。結構面白いことを書いてくれます。「今朝、電車の中で女子高校生が話しているのを聞いていたら、『やっぱりまじめ系より遊んでる系の男の方がいいよね』と言っていた。その後、電車が揺れて女子高校生同士がぶつかった時『びっくり系』と言った。『まじめ系』とかは自分でも使うが、『びっくり系』はおかしいと思う。普通に『びっくりした』と言えばいいのに。」
女子高校生のユーモラスな姿が髣髴としてきて、私は思わずフフフと笑ってしまいました。学生たちは、自分に近い年代の若者たちの使う言葉に、より敏感に反応します。彼らの「気になる言葉」についての発言を読んでいるうちに、現代の若者特有の現象に気づきました。若者たちは、自分たちの使う言葉が曖昧であるという意識を強く持ち、自己反省しているのです。「最近、会話の中で『雨どれくらい降ってる?』『結構少し』と答えたり、『これ、どれくらい必要?』『微妙に多め』とか訳のわからない受け答えをしている自分がいます。量とか良し悪しを聞かれると、なんとなく自信がなくて曖昧な表現をしてしまうことが多いのです。周囲でも、よく耳にするようになって気になります。」
私が、最初に「微妙」という言葉を耳にした時、実はとても新鮮な印象を受けてしまったのでした。「これ、どーお?」若い女性が若い男性に写真を見せていました。「微妙。」男が答えていました。私は、一言では言い表せない複雑さを「微妙」の語で表したのかと思ったのです。でも、「微妙」は、答えを明確にせずに済ませる便利な表現だったのですね。
この他、若者たちは、「普通に大きい」「普通に美味しい」と曖昧な表現をしている自分たち、「とりあえず」「一応」を連発している自分たちを意識しています。また、最近若者の間で流行っている「的」についても、こんな意見をもらしています。「『オレ的には~』『わたし的には~』などとあげれば切りがないが、何にでも、『的』をつけるのはいかがなものかと思う。『オレは、~と思う』とストレートに言って、相手に嫌われたくない気持もわかるが、やはり使わない方がいい。」
なぜ、若者は、曖昧な言葉にこれほど敏感に反応し、反省しているのでしょうか? さまざまな所で若者言葉の曖昧さが指摘されていることも一因でしょう。けれども、若者たちの自己反省の念は、もう少し内発的な感じがするのです。彼らの文章をよく読んでいくうちに、メールの存在にゆきあたりました。しゃべり言葉で、彼らはメールを自在に打っています。読み直した時に、自分の使っている言葉の曖昧さに気づくのです。現に「話し始めの単なる合図みたいに使う『ていうか』『なんか』を、人が言っているのはほとんど気にならないけれど、自分で使うのが気になります。普段の会話では何も気にしていないけれど、メールを作っていると、目に見えるので消したくなります」という発言もありました。メールは、言葉を反省する絶好の機会になっているのでした。
(『文化庁月報』405号 2002年6月 掲載エッセイ) |
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