『擬音・擬態語辞典』の舞台裏

山口仲美


山口仲美編『暮らしのことば 擬音・擬態語辞典』を一一月に講談社から刊行した。まとめるのに、三年がかり。結構大変だった。三年という歳月は、辞典作りに費やす時間としては、最短である。それだけ集中力を必要とした。
ここでは、完成までの舞台裏を少し披露してみたい。『星座』には、ずっと擬音語・擬態語の話を連載させてもらっていたので、ぜひとも皆さんに語りたいのだ。『星座』への連載原稿は、『擬音・擬態語辞典』に設けたコラム欄二〇本の一部に圧縮した形で取り入れた。「擬音語好きの一茶さん」「オノマトペの創造」「幸田文さんの文章」「掛詞の技法」「オランダ鶯はなんと鳴く?」と題名も若干変形させて。
さて、私は、本辞典の編者でもあるが、執筆者でもあった。とりわけコラム欄は、私の単独執筆。
編者としての仕事は、見出し語の選定から始まった。一体、どんな語を辞典の見出し項目にしたらいいのか?擬音語・擬態語は、次々に生み出される言葉であるだけにどんな語を取り上げるかという悩みは大きかった。コミック・詩・童話には、とりわけ独創的な擬音語・擬態語が多い。たとえば、草野心平の詩に見られる「ぐりりにに」という蛙の鳴き声、萩原朔太郎の「とをてくう」という鶏の声、宮沢賢治の「かぷかぷ」という笑い声、コミックに見られる「ぶびえええ」という泣き声、「ねばらー」「にっちゃか」という粘る様子、「にょびー」という伸びをする様子。これらの語をもれなく項目にしたら、いくら頁数があっても足りない。また、そうした一回的な語を見出しにする意味も薄い。作り出すパターンさえ明らかにしておけば、それですむ。それは、コラム欄で述べよう。
こうして、よく使われている一般的な擬音語・擬態語をまず見出し語にしようと決断した。そうした語を得るためには、何を資料にしたら良いのか? 誰もが読む新聞・雑誌から用例を採取し、その中からさらに基本的な語を選び出せば、ポピュラリティのある擬音語・擬態語が見出し語になる。そこで、朝日・日経・日刊スポーツ・日本工業などの新聞、週刊現代・SPA!・女性自身・Hanakoなどの週刊誌を資料にして、まずは擬音語・擬態語を抽出した。それらを絞り込んで、一三八五の見出し語を選定した。三ヶ月もかかってしまった。
これだけの項目を独力で執筆するのは、無理である。私を含めて一四人の研究者で分担執筆することにした。最初の半年は、執筆者陣が月一回集まってコンセプトを統一し、原稿の質を高めるという作業を行った。それでも、実際に原稿が集まってくると、不統一が目立ったり、不備があったりして、編者の私は、原稿が真っ赤になるほどの訂正を執筆者にお願いしたこともあった。四回も書き直してくれた執筆者もいる。
私たち執筆者が、苦労した点の一つは、用例探しであった。執筆者の作った用例では、価値が下がる。実例であるからこそ、面白いのだ。私は、最初に基礎資料としてすでに私の調査した新聞・雑誌の実例を執筆者に手渡しておいたが、それだけの基礎資料では、間に合うはずもない。執筆者は各自が独力で不足する実例を探し出す作業を行う必要があった。小説に当たって実例を探すことはもちろん、マイナーな雑誌まで目を通し、さらに、家族まで動員して実例探しを行った執筆者もいる。
それでも、実例が得られないときがあった。用例がありそうでなかなか見つからないのだ。たとえば、ある執筆者は訴えてきた。胸の豊かな様子の「ぼいん」ではなく、「ぼいんとなぐる」のような弾力のあるものを殴ったりする時の音や様子を表す「ぼいん」の実例が見つからないと。また、ある執筆者は、実例がようやく見つかったのだけれど、卑猥な場面すぎて引用するのが憚られると。「じゅぼっ」「じゅるっ」などの実例である。これらの場合には、仕方がないから、作例で我慢しようと申し合わせた。
さらなる苦労は、意味の記述。たとえば、「いちゃいちゃ」。感覚で十分分かっているのに、記述しようとすると、難しい。この項目の執筆者は、こんな解説をしてくれた。「男女が、おたがいに好意を持っている現われとして、体をくっつけ合ったり、ふざけ合ったりしている様子。そうした状態を見ている者が不快に感じて、批判的に使うことが多い」。なるほどと思っていただけただろうか?
類義語との違いも説明しなければならない。「ぐでんぐでん」と「べろんべろん」はどう違うのか?「しくしく」と「きりきり」は?「ひくひく」と「びくびく」と「ぴくぴく」とはどう違う? 感覚的な言葉ほど説明が難しい。執筆する者たちは、語感を磨き、それを分析する必要に迫られた。
さらに、易しいようでいて相当調べなければならない項目がある。私の執筆項目で言えば、「ぽっぽっぽ」。なんとなく私たちは、鳩の鳴き声と思い込んでいる。しかし、本当に鳩は「ぽっぽっぽ」と聞こえるように鳴くのか? 我々が神社などで目にする鳩は「ぐーぐー」としか鳴かないではないか。調べてみると、戦後著しく数が減ってしまったが、戦前までは、埼玉・千葉・東京の各地にずいぶんたくさんいた鳩がいる。シラコバトだ。シラコバトは「ぽぽ・ぽっぽ・ぽー」などと聞こえる声で細く優しく鳴くという。「ぽっぽっぽ鳩ぽっぽ」の歌が作られたのは、明治四四年。シラコバトがたくさん生息していた時期だ。こうして、「ぽっぽっぽ」の項目がきちんと書ける。たった九行なのに、ずいぶん苦労してしまった。私の執筆項目は、とりわけ従来明らかにされていない動物たちの鳴き声を写す擬音語が多かったので、長い間の研究から得た知識を総動員し、なおかつ調査して、書かねばならなかった。 
それでも、出来上がった辞典を手にした方が「何て楽しい辞典なの!」と言って下さると、協力してくれた方々を思い浮かべ、晴れ晴れとした顔になる。


(上記エッセイは、『星座』(かまくら春秋社)19号に掲載したものです)