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中国の日本語教育 
山口仲美 |
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要旨
筆者は、1999年2月から7月まで「北京日本学研究センター」に派遣されていた。そこでの活動をもとに、北京の日本語教育の現状を報告し、さらに中国の日本語教育のあり方とその普及のために私見を述べるのが、この稿の目的である。
中国における日本語の地位はどんなものか? 日本語教育を受けた中国人学生・院生の実力はいかに? 日本語教育の使命とは何なのか? 中国で日本語教育を普及させるためには何が必要なのか? こうした問題に簡略に答えてみたのが本稿である。
1 はじめに
私は、1999年2月から7月まで「北京日本学研究センター」に派遣された。
当センターは、故大平首相の提唱により、1980年に国際交流基金と中国教育部(日本の文部科学省に該当)との協議によって設立された教育・研究機関である。資金提供は、日本側であるが、事業の運営実施は、北京外国語大学に委託されている(注1)。
学期ごとに日本側から10名前後の日本人教師が派遣され、日本の言語・文学・社会・文化についての授業を日本語で行っている。私は、言語コースを担当し、大学院修士課程の院生たちに日本の古典語の講義を行い、かつ日本語研修コースに在籍する中国の現職日本語教師たちに日本語についての講義を行った。現職の日本語教師たちは、すべて中国人であり、日本語教育のブラッシュアップのために半年間センターに在籍して学び、仕上げに訪日一ヶ月の研修を積んで再び勤務大学に帰っていく日本語教師たちである。その他、私は北京大学・北京師範大学で日本語を学んでいる学生たちにも日本語についての講演を行った。
この稿では、これらの活動を通して知りえた北京の日本語教育の現状を報告し、中国における日本語教育のあり方やその普及のために私見を述べておきたいと思う。
2 英語学習熱の席捲
言語コースの院生たちに、「なぜ日本語を学ぶ気になったのか?」と聞いてみた。すると、最も日本語の達者な女子学生が、即座に答えた。
「本当は、英語を専門に学びたかった。でも、成績が足りなかったので、やむなく、大学で日本語を専門にした。そうなると、大学院に進んで日本語教師になるしかなくなって。」
正直すぎて、日本人としてはいささかつらいが、事実を写し出した意見である。というのは、中国では、近年国策として英語教育を第一に推進しているので、学生たちの成績優秀者は、英語を学ぶという風潮が席捲している。
炎天下、中国全土からTOEFLの受験申し込みをするために、北京外国語大学の敷地内に長蛇の列をなして順番待ちをしていた中国人たちの殺気立った顔を忘れることが出来ない。こうした英語熱の中にあって、大学の日本語学科で日本語を専門にするのは、特殊な場合を除いては、英語を専門に学ぶチャンスに漏れた学生たちなのである。だから、どこか挫折感を滲ませている。1972年に日中国交が回復し、中国の大学に日本語学科が開設され始め、1985年から1990年にかけては、中国各地に日本語学科が増設され、日本語はブームとなったのであるが(注2)、今や完全に英語にその地位を奪われてしまったのである。
また、大学で語学が専門でない学生たちが必須科目として取らねばならない第一外国語も、現在では、ほとんどが英語である。つい10年ほど前の1990年までは、日本語を第一外国語で学ぶ学生が、4割を越えていたのに(注3)、今は見る影もない。
日本語を第一外国語にしなくなった理由は、中学・高校での日本語教育の衰退と連動している。現在、中国の大学で第一外国語として学べるのは、中学・高校で学んだ外国語に決められている。その中学・高校がこぞって日本語コースを廃止して、英語コースを新設したり増設したりして英語教育に力を入れるから、当然の成り行きである。
たとえば、北京市では、全日制の中学・高校で次々に日本語コースを廃止していったので、1995年には、日本語コースが置いてある全日制の中学・高校は、ただ一校(月壇中学・高校)のみになってしまったのである。英語学習熱が、いかに急上昇しているかを察することが出来よう(注4)。
3 日本語は第二外国語
では、日本語は不要科目になってしまったのか? いな、英語に大きく水をあけられつつも、大学の日本語学科は存在し続けているし、また、第一外国語としての地位こそ英語に譲ってしまったけれど、第二外国語として、日本語は根強い人気を博している(注5)。第二外国語というのは、他に専門分野を持つ学生が、必須の第一外国語を修得した後、選択科目として学習する科目である。授業は、日本語の基礎から始められる。センターの「日本語研修コース」でブラッシュアップしている現職の日本語教師たちは、ほとんど勤務先大学で第二外国語としての日本語を教えている。
では、中国での日本語教育の将来はどうなるのか? 現在よりさらに需要が低下していくのか? それとも、現状維持で進んでいくのか? かつての日本語ブームのような躍進的な時期が訪れることはあるまいが、また凋落の一途をたどることもあるまい。というのは、一つは国立国語研究所の調査で明らかになっているように(注6)、中国人に日本語を学びたいという欲求があること、二つは、隣国にあるという地理的状況に恵まれているため、今後ますます日中交流が盛んになり日本語習得の必要性があると推測されることである。おそらく、中国での日本語教育の需要は、当分の間現状維持の状態で歴史の歯車は回っていくであろう。
4 学生・院生と日本語教師の実力
では、現地で見た日本語教育の成果は、どの程度のものであったか? 私が接した日本語専攻の学生・院生の「話す」「聞く」能力の高さには驚かされた。日本の英語教育と全く同じ期間、もしくはそれ以下の期間しか日本語を学んでいない。にも関わらず、日本人の外国語の運用能力と雲泥の差がある。
むろん、日本語と中国語は文字や単語が共通していることが多いから、マスターが早いという見方もできるが、原因はそれだけではない。というのは、中国では、高校三年生にもなると、英語使用国に行ったことがないにも関わらず、英語が話せる。語学の教育方針が、日本と全く異なっているからであると察せられた。来日した経験がないにも関わらず、流暢な日本語を話す多くの中国人学生を目の当たりにして、私は日本の語学教育の欠陥を嫌と言うほど思い知らされた。
ただし、「書く」力は、会話力に比べてかなり低い。彼らに文章を書かせると、(1)日本語の文としてはおかしい、(2)意味の通じない文がある、(3)文の構成力が弱く、単語の羅列である、などの点が見受けられた。
また、現職の日本語教師たちも、来日の経験は、一様に皆無であったが、「話す」力のレベルはきわめて高い。ただし、「聞く」「読む」「書く」の能力には個人差が大きく、すべてに優れている現職日本語教師もいれば、現代語の文章すらまともに読めず、日本語で行う授業もあまり理解できておらず、記述式の日本語のテストの答案も全く書けないという現職日本語教師もいた。日本語の知識を十分に身につけることのできなかった時代の教師としてはやむを得まい。
以上が現状報告である。以下、現地で感じた日本語教育のあり方とその普及のためにいささか私見を述べて結びとしたい。
5 中国の日本語教育のために
中国の学生・院生・日本語教師に接していると、自己主張の強さにたじたじとなる。自分の考えこそが正しいと信じ、相手の言うことに耳を傾けようとはしない。だから、彼らに異なる観点からする別の考え方を示唆しても、すぐに受け入れられることはまずない。さらに、自分の都合だけを盛んに言い立ててくる。自己主張を良しとする文化に育っているからである。
日本人は、自己主張が苦手である。自己主張をする人を見ると、見苦しいと思ったりする文化に育っている。だから、中国人と日本人は、互いに苦手意識をもちやすい。文化摩擦が起こっているのである。日本語教育は、こうした文化摩擦を解きほぐしていく役割を担っていよう。単に日本語を言語的な観点からのみ教えるのではなく、背景にある日本文化を解説し、歩み寄りの土壌を作っていくこと、これが日本語教育に課せられた使命の一つであろう。
さらに、中国では、日本語教育普及のために早急になされねばならないことがある。それは、日本語をイメージアップさせる努力である。日本語のイメージが北京ではかなり悪い。北京では、日本語は「侵略者の言葉」というイメージを持っている。最近の中国政府は、松嶋みどり(注7)によると、国策の一つとして「愛国主義教育」に力点を置き、日本の侵略の歴史を意識化させようとしているという。
たしかに、そのことは、たとえば中国の戦争映画で、日本軍兵士が「バカヤロウ」などと怒鳴り散らす場面が多く見られることにも伺える。また、廬溝橋にある記念館には、日本軍侵略の様子を伝える写真や展示物が並べられ、中国人ガイドたちは中国人団体客に日本軍の残虐行為を説明し、さらに、館内では終日日本軍の残虐行為をアピールするドキュメントふうの映画が上映されていることからも察せられる。私は、その記念館でたまたま三十人くらいの中国人の団体客と一緒になり、彼らの怒りに満ちたまなざしに出会いたじろいでしまった。こうした状況にあるためか、中国人は日本を非民主的な国だと考えている人が、民主的な国だと思う人と同じくらい存在している(注8)。
また、都市部に住む中国人一般に対して行った「日本語の好き嫌い」のアンケート調査の結果(注9)も、「日本語が嫌い」と答える人が「好き」と答える人を上回っている。このように、中国では日本語の評判は芳しくない。日本語への冷たい視線は、国立国語研究所の調査(注10)によっても裏付けられるように、日本という国への視線と軌を一にしている。日本語のイメージをよくしようとするなら、日本という国のイメージを上げねばならないのである。そのためには、どうしたらいいのか? 日本からの情報をできるだけ多く流してもらえるような働きかけをすることである。同じ中国といっても、台湾では、大陸と違って日本や日本語に対するイメージがすこぶるよい。理由は、劉志明も指摘しているように(注11)、大陸と違って国交断絶がなく、常に経済的・文化的・人的交流が盛んになされ続けてきたためと考えられる。台湾にはテレビなどを通じて、日本からの情報が大陸よりもはるかにたくさん流されている。だから、身近に感じてもらえるのである。
一方、大陸では、日本の情報はほとんど流されない。私の北京滞在中、日本の政界の大物が北京に訪れているにもかかわらず、北京のテレビで、話題になることすらなかった。
日本語教育普及のためには、日本・日本語のイメージアップが、今中国で最も求められていることである。
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(注1) |
詳細は、国際交流基金『北京日本学研究センター(大学院修士課程・日本語研修コース)』(1999年7月)参照。 |
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(注2) |
続三義「中国における日本語研究」(『解釈と鑑賞』61巻7号、1996年7月) |
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(注3) |
椎名和男「国外の日本語教育をめぐる情況と展望」(『日本語教育』94号、1997年10月) |
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(注4) |
松嶋みどり「中国北京市の中等教育機関における日本語教育に関するアンケート」 (『日本語教育』90号、1996年10月)、上田孝「海外における日本語教育」(『日本語教育』86号別冊、1995年11月) |
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(注5) |
木山登茂子・篠崎摂子「中国大学レベル非専攻日本語教育への支援を考える」 (『日本語学』14巻7号、1995年7月) |
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(注6) |
研究代表者水谷修、新プロ「日本語」総括班,研究班1編『日本語観国際センサス・単純集計表(暫定速報版)』1999年3月 |
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(注7) |
松嶋みどり「中国北京市の中等教育機関における日本語教育に関するアンケート」(『日本語教育』90号、1996年10月) |
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(注8)〜
(注10) |
研究代表者水谷修、新プロ「日本語」総括班,研究班1編『日本語観国際センサス・単純集計表(暫定速報版)』1999年3月 |
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(注11) |
劉志明「中国・台湾における日本語観」(『日本語学』18巻4号、1999年4月) |
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(『SCIENCE OF HUMANITY』33号 2001年6月、BENSEI出版 掲載論文)
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