 |
『枕草子』61段の「暁に帰らむ人は」
山口 仲美 |
 |
|
以下は、「暁に帰らむ人は」の章段の、私の口語訳です。
明け方に、女のもとから帰ろうとする男性は、衣装などをたいそうきちんと整えたり、烏帽子の紐を髻にしっかり結びつけるなどのことはしなくてもいいんじゃあない。ひどくだらしなく、見苦しく、直衣や狩衣などをゆがんで着ているとしても、明け方の薄暗い時に誰がそれを見知って笑ったり悪口を言ったりするかしら。誰もそんなことしないわ。
男性は、何と言っても、明け方の別れの振る舞いこそ、愛情こまやかにしなくては。どうしようもなくしぶしぶと、起きるのが辛くてたまらないって様子なのを、女から無理にせっついて、
「寅の刻(午前三時)を過ぎちゃったわよ。まあ、みっともない。早く帰らないと。人に顔を見られちゃうわよ。」などと言われて、男がため息をつく様子も、「なるほどまだまだ愛したりなくて、帰るのがつらいのだなあ」って思える。指貫なども、座ったままで、はこうともしないで、ともかく女に寄り添って、昨夜話した睦言の続きを女の耳元でささやく。とりたてて何かをしているというふうでもないようなんだけれど、結構、帯なんか結んでいるらしい。格子を押し上げて、両開きの戸のある部屋ならそのまま女を一緒に出口まで連れて行く。「昼はどう過ごしているの? 心配だよ」などと口にしながら、そっと女の家を出て行くのは、女が自然男の後ろ姿を見送る気持ちになって、別れの名残惜しさも格別だと思うの。
それとは反対に、男には他に思い出す女のところがあって、すごく派手にがばっと起きて、夜具も何もぱっぱとひき散らかし、指貫の袴の腰紐をごそごそがばがばと結び直す。袍であれ狩衣であれ、袖をまくりあげて、腕をぐっと差し入れ、帯をこのうえなくしっかりと結ぶ。続いてさっとひざまずいて、烏帽子の紐をぎゅっと強く結び入れて、頭にかっちりすえる。その音がしたかと思うと、扇や畳紙を昨夜枕元においておいたのだが、自然に散らばってしまったのを探し当てようとする。暗いから見えないでしょ、「どこだどこだ」ってそこら一面に叩きまわってやっと探し出して、汗だく。扇をばたばたと使って、懐紙を懐につっこんで、「失礼します」とほんのひとこと言って出て行く!これって、最低の男よね。
どこが見どころなのか?かっこいい男とダメな男はどこが違うのか?などについての解説は、ぜひ拙著『すらすら読める枕草子』(講談社)を読んでくださいね。
|
|
 |
 |
 |
|