擬音語・擬態語の変化
(後編)
山口仲美


(「擬音語・擬態語の変化(前編)」をまずお読みください。今回は、その続きです。これで「擬音語・擬態語の変化」の論は完結です。)


 六 オープンに気持を表す
 次に、現在のほうに若干多く出現する()人間などの気持を表す語に注目してみる。三〇年前と現在に共通して見られる語を除き、三〇年前だけに見られる語と現在だけに見られる語を比較してみる。
 すると、三〇年前のものは、「ガクリ」などの落胆気分が多く、楽しく明るい気持を写す語に乏しい。また、表されている気持も、「ムカッ」などの自閉的なものが多い。対して、現在だけに見られる語は、以下に例示していくように、楽しいものも少なくない。また、表される気持は、積極的であらわで激しい。攻撃性を帯びていることすらある。
 
まず、楽しい気持を表す語を上げてみる。胸のときめく気持は、「ドックンドックン」。
○近ごろドックンドックンしたことあるかい?(週刊現代・二〇〇〇年一二月九日号)
 
シリーズもののタイトル。心臓から血液の「どくどく」流れる体内感覚を強調して出来た擬音語。三〇年前から現在まで使われている「ドキドキ」などよりも、激しくどぎついときめきである。「みんな脈打つ」という副題もついている。
 
恋のテレパシーも体内から過激にやってくる。
○会ったとき、体と心でビビビッときたんです。」(日刊スポーツ・二〇〇〇年一二月六日)
 
松田聖子の名言で有名になった「ビビビッ」である。電気的に訪れる恋のインスピレーションの形容。同紙には、「ビビビッと再婚から九二五日 二度目の破局」とも書いてある。第一印象で霊感のように訪れる恋は、「ビビッの恋」(Hanako・二〇〇〇年一二月二七日号)とも言われている。
 また、鼻歌でも歌いたいような浮かれた気分は、「ルンルン」で表す。
○いかにもルンルン気分といった感じで、「きょうは紅白の打ち合わせなの」とか「今年の衣装はね…」とかうれしそうに飛び回っています。(週刊現代・二〇〇〇年一二月三〇日号)
○病院からまっすぐ合コンの席へ。るんるん歓談しているうちに…下剤が効いてきた。(朝日・二〇〇〇年一二月三〇日)
 さらに、気分が高揚したときは、「パパパパンパーン」(SPA!・二〇〇〇年一二月一三日号)という擬音語で表した例もある。
 現在には、こうした明るい気持を表す語が見られるのに対し、三〇年前には、ほとんど見られない。かろうじて次の例が明るい気持と言えそうなものである。
  K君好きの加賀美人。ポーとして住所・氏名を聞きもらしたが、(サンケイ・一九七二年八月二日)
 純情さを感じさせるほのかな恋心。現在の激しく電気的な「ビビビッ」とは雲泥の差がある。
 また、現在では楽しい気持のみならず、表現される気持は概して次のごとく過激である。例えば怒り。現在では怒りの感情がむらむらと湧きあがり、自制心を失ってしまった時の気持を「プッツン」という語で表す(注4)
○藤島親方の口説きっぷりも、もし美恵子夫人の耳に入ったらプッツンとキレてしまいそうなもの。(週刊現代・二〇〇〇年一二月九日号)
 自制していた神経などが、体内で切れる音のイメージから激怒の気持を表すようになったもの。「プッツン」は、現在では「キレる」の語を伴わずに用いられても、十分に意味の通じる語になっている。
保奈美「お受験教室」熱に貴明プッツン(女性自身・二〇〇〇年一二月五日号  )
○コクドの選手数人が、心ない観客の反応に「プッツン」した。(日刊スポーツ・二〇〇〇年一二月一九日)
 また、現在では、泣きたい気持も涙を浮かべてアピールする。
○ようやく二人きりになると、その瞬間から、工藤の目はもうウルウル。場所も選ばず、いきなりガバッと彼の胸に抱きついてきたそうです。(週刊現代・二〇〇〇年一二月九日号)
○ちょっと泣きそうになったし、実際少しウルッと来てしまった。(朝日・夕刊・二〇〇〇年一二月一九日)
 「ウルウル」「ウルッ」は、涙を浮かべる動作であるが、結果として泣きたい気持を表すので、ここにも掲出した語である。「潤む」からきた擬態語。
 また、吐きたくなる気分は「オエオエオエ」「オエッ」(Hanako・二〇〇〇年一二月二〇日号)。実際に嘔吐するのではなく、そうしたいほど嫌な気分であることを表す。
 現在は、このように明るく楽しい気持を表す語や激しい気持をあらわす語の出現に特色がある。これは、遠慮せずに振舞うことを認め始めた現在の風潮と呼応している現象と考えられる。


 七 郷愁の音
 次に、「物の音」を表す語に注目してみる。〈表1〉のサンプリング調査から、三〇年前も現在もともに「物の音」を写す語の多いことが分かっていた。そこでまず、三〇年前にのみ出現した語に焦点をあわせ、その性質を探ってみる。
 三〇年前にあって、今は無くなってしまった擬音語は、以下に示すようなものである。まず、木造の安普請を感じさせる擬音語。
○建てつけの悪いドアをあけ、ガタピシと鳴る階段をあがって、同課のへやにはいった。(朝日・一九七二年九月一四日)
○雨戸というものは、苦労のたね。戸袋からやっと引き出したら敷居が走らず、ガタピシガタピシ。(毎日・一九七二年九月一八日)
 三〇年前の日本家屋の状況を映し出した擬音語である。玄関のドアにしても、三〇年前は、木製が多く、開閉のたびに「ギィーッ」(読売・一九七二年七月一一日)と鳴る家が多く、それを写す擬音語が活躍している。これらの擬音語が現在に出現しないのは、住宅事情が変化したからである。現在は、三〇年前よりも豊かになり、古い木造家屋は激減し、窓や雨戸はアルミサッシでスムーズにあく。「ガタピシ」「ギィーッ」の語を使う必要がなくなったのである。
 また、三〇年前には、新幹線は開通していたが、まだ普通電車も人々の関心をひきつけており、次のような牧歌的な擬音語が見られる。
○胸の底にしみわたるような汽笛。ガタンガタン、線路の感覚が客席にまで直接伝わるようななつかしい…(朝日・夕刊・一九七二年一〇月一四日)
客を送って帰る途中、大井の踏切で列車待ちをしていたところ、列車がゴッ トンゴットンという異常に大きい音をたてて通過した。(東京・夕刊・一九七二年四月五日)
 この他、「ゴトンゴトン、カタンカタン」という電車の音もある。
 現代では、電車は完全に日常生活に溶け込み、さほど興味を引く存在ではなくなった。と同時に技術も進み、電車の音も小さく滑らかな走りとなり、「ガタンガタン」「ゴットンゴットン」などの擬音語も現れなくなった。
 
のみならず、三〇年前には都心でも、まだ馬車を走らせることが許されていた。こんな例がある。
○そこのけ、そこのけ、ラッシュの都心を二頭立ての馬車がカッポカッポ。(朝日・夕刊・一九七二年七月三一日)
 乗り物に続き、歩行を補助する履物も変化した。三〇年前には下駄をはいている人もおり、さほど不自然ではなかった。
○遠出する以外はほとんど車に乗らない。げたをカランコロンとひびかせて歩く。(朝日・一九七二年四月二〇日)
 現在の街には、下駄の音「カランコロン」が響くことは滅多にない。
 
また、日常生活でも、三〇年前は茶の間には機械時計の音「カッチンカッチン」「チクタク」、庭には鋸を引く音「ギコギコ」(産経・一九七二年七月一〇日)が響き、ガラス瓶の割れる音や窓ガラスの壊れる音「ガッチャーン」(産経・夕刊・一九七二年四月一四日)を耳にすることが多かった。現在は、磁力で動く時計になって時を刻む音は小さくなり、電動鋸になって音も変わり、瓶はプラスティック製ボトルや紙パックに変わり、落としても鈍い音がするだけで割れはしない。また、子供たちが外で窓ガラスを割る率の高い草野球などすることもなくなった。
 
三〇年前の資料にのみ見られる擬音語は、三〇年前の文化や社会状況を如実に映し出していることに気づく。


 八 電子文明の音がする
 では、現在、新しく出現してきた「物の音」を表す擬音語はどのようなものであろうか? ここで新しい擬音語という場合は、三〇年前にも語形そのものは存在するが、全く意味の異なっているものも含む。
 現代になって新しく出現してきた語を眺めると、三〇年前には考えられなかったほどに機械音を写す擬音語が多い。
 
まず、車のエンジン音。
○シフトダウンのときはコンピュータが自動的にダブルクラッチを踏んで「クオォン!」と中吹かしまでしてくれて、超気持ちいい。(SPA!・二〇〇〇年一二月二七日号)
 
「クオォン」は、エンジン中吹かしの音を写す擬音語。セダンは、「ブロロロ」「ブロロロロ」(週刊現代・二〇〇〇年一二月一六日号)・「ヴオンヴオン」(週刊現代・二〇〇〇年一二月一六日号)とエンジン音を出して道路を駆け巡っている。時には、車のドアを「バム」と閉め、「ブウウ」(週刊現代・二〇〇〇年一二月三〇日号)と走り出す時もある。バイクの走る音は、「バババババ」(SPA!・二〇〇〇年一二月一三日号)。
 現在は、三〇年前とは比較にならないほどの車社会。各家庭での車の保有率はかなり高い。車は、身近な足である。我々は、車のエンジン音に囲まれて寝起きしている。
 
また、新しく出現してきた擬音語には、電子音を写したものが顕著である。まず、携帯電話の操作音。
○アイコ(一六)は、二階へかけ上がった。床に座り、バッグから携帯を出す。ピッ。十六人からメール。(朝日・夕刊・二〇〇一年一月六日)
 
携帯の操作開始の音は、「ピッ」。テレビなどのリモコン操作の音も、「ピッ」(SPA!・二〇〇〇年一二月一三日号)である。携帯電話への着信の合図音は、「ピピッ」(女性自身・二〇〇〇年一二月一二日号)。空港にある金属探知機が反応すると、「ピピピ」(朝日・二〇〇〇年一二月一〇日)と電子音を発する。
○ほめれば目を緑色に点滅させ、ピロピロピーと鳴く。(朝日・二〇〇一年一月一日)
 
「ピロピロピー」は、エンターテインメントロボット「アイボ」の鳴き声。むろん電子音。ロボットと心を通じ合わせる主婦の話に出てくる擬音語。「ピロピロピー」は、ロボット犬の鳴き声である。
○Fボタンを押すと必ず「チロリン」というベル音が鳴るから、盗撮は難しい構造になっている。(日刊スポーツ・二〇〇〇年一二月六日)
 
「チロリン」は、松虫の声ではなく、デジカメに付いている盗撮防止合図の電子音。台所も、電子音に満ちている。
○「レンジでチン」の安かろうまずかろうの時代は一昔前。(日刊スポーツ・二〇〇〇年一二月一二日)
 
三〇年前にも「チン」の語の見出しはあるが、実例がない。作例として、「時計がちんと一時を打った。」「さあ、おはなをちんしましょう。」が出ている。三〇年前には電子レンジがないから、その音を「チン」で表すこともなかった。いまや電子レンジは台所の必需品。「チン」だけで電子レンジに入れることを意味する。
○先生のアドバイスでお湯をチン。(女性自身・二〇〇〇年一二月二六日合併号)
 
テレビでおなじみのサランラップのCMソングも、歌っている。
○ラップして、ジップして、フリージングしてチンよ。(日本工業新聞・二〇〇〇年一二月一日)
 
ビルやマンションのエレベーターも、閉まりかけた扉が、何かにぶつかってしまうと、「チーン!」(女性自身・二〇〇〇年一二月一二日号)と警告音を出して再び操作のしなおしをする。
 玄関にある呼び鈴も今は、「ピンポン」(朝日・二〇〇〇年一二月四日)「ピンポーン」(週刊現代・二〇〇〇年一二月九日号)という電子音を響かせている。
○脱税事件やスパイ問題で元日から自宅をピンポンされたこともあったよ。(日刊スポーツ・二〇〇〇年一二月二九日)
 
パ・リーグの原野和夫会長の発言に見られる「ピンポン」である。「ピンポン」だけで、玄関のチャイムであることが一般に知れ渡っていることが分かる。
○囚人たちのストレス解消にピコピコハンマー持って慰問に行ってこい。( SPA!・二〇〇〇年一二月二七日号)
 
「ピコピコ」も、電子音である。パトカーや救急車の鳴らす電子サイレン音は「パーポー」(女性自身・二〇〇〇年一二月二六日合併号)だったり、「ピーポーピーポー」「ピーポ」(週刊現代・二〇〇〇年一二月三〇日号)だったりする。また、こんな音もする。
一〇〇万円の元手は半年で幾らになったんでしょうか? ジャカジャカジャカチーン。SPA!・二〇〇〇年一二月六日号)
 
レジなどが、金額を合計して結果をはじき出す音を模した擬音語。こうしてみると、現在の新しい擬音語は、電子音に特色付けられていることが明らかになってくる。
 さらに、電子音に限らず、現在は次のような機械音もある。
ピーピー音(ハウリング)防止機能付き(朝日・夕刊・二〇〇〇年一二月二九日)
 
デジタル補聴器の機能の説明箇所である。「ピーピー」も、スピーカーから出た音を補聴器が拾う時に起こる機械的な雑音の模写。
 
また、電動式の器具の音も大活躍である。まずは、銃声。
○六〇連発でダダダダーッ。…そのとき家のなかからダーッて撃ったら、カラスが落っこちたんです。(週刊現代・二〇〇〇年一二月三〇日号)
 
連発銃の音である。電動銃の音も出現する。
○「バキューン、バキューン」(朝日・二〇〇一年一月八日)
 
子供が、電動銃の音を口真似している場面。すると、母親がやんわりとたしなめた。
○「バンバンはともかく、バキューンって音はやめなさい」…「バキューン」は生々しくて、許容範囲を超えているからだ。(朝日・二〇〇一年一月八日  )。
 中年にとって耳ざわりな語感をよそに、「バキューン」の語は現在定着している。
○「バキューン」といえば倒れる犬。(朝日夕刊・二〇〇〇年一二月五日)
 ペットの犬も、「バキューン」と聞くと、電動銃に打たれたまねをして倒れて見せる時代である。この他、電動式の器具の振動音に「ウイイーン」「ウィーン」(女性自身・二〇〇〇年一二月五日号)もある。
 
さらに、各家庭へはパソコンが普及し始めた。パソコンを操作することは、「カタカタする」という語句になっているほどである(注5)。パソコンのキーを叩く音からきたものである。
 
文房具も変化した。白板に水性ペンで書き付ける。その音は、「カキカキ」(週刊現代・二〇〇〇年一二月二三日)。油性ペンの音は、「キュッキュッ」(朝日・二〇〇〇年一二月二五日)。そして、生活音の最後にはこんな音。
がっこん、がっこん。(朝日・二〇〇一年一月三日)
 
「厚底靴」のエスカレーターを歩く音である。一八センチもある厚底靴も、いまやピークを越えて潮が引くようにすばやく引いてきた。「がっこんがっこん」の言葉も、それと歩調をあわせて消えていくに違いない。
 物の音を表す擬音語は、時代の文化や社会の状況に直結して変化していることが明らかになってきた。


 九 慎み深くゆっくりと
 最後に行動様式を表す語に注目してみる。三〇年前は活躍していたのに、現在の調査資料には見られなかったものは、どのような性質の語であったか? 顕著な特色を示すのは、以下に示すごとく慎み深くゆっくりした行動様式を表す語群である。
 日曜日は特にごきげん。朝は大びん二本、昼はます酒二杯とざるそば、夜は洋酒をチビリチビリ(日経・一九七三年一月一四日)
 「チビリチビリ」は、少しずつ、舐めるように飲んで楽しむ様子。豪快さとは正反対の、ささやかな行動を表す語である。
リングサイドをパンダの縫いぐるみを抱いてチョコチョコ走り回ったりして、(京都・一九七二年一二月六日)
ふとんの上にチョコナンと坐って、女の来るのをいまかいまかと待っていると(落語「五人まわし」)
「チョコナン」は、行儀よく一人坐って待っている様子。
 肉、野菜、果物…。選手たちは格別に意欲を示すでもなく、チョイチョイつまむだけで、もっぱら会話を楽しんでいる様子だった。(朝日・夕刊・一九七二年八月二三日)
 この他、「チョコンチョコン」「チョビッ」「チラチラッ」「チョロッ」「チョロリ」がある。いずれも、動作が小刻みにわずかずつ遠慮っぽくなされている様子を示す語である。
 また、次に示すような音の出ない唐突な動作を表す擬態語もある。
○稲刈り農婦腰抜かす。地面動きかま首ニュー。(朝日・夕刊・一九七三年九月三日)
 
「ニュー」はニシキヘビが、音もなく鎌首を突然持ち上げた様子。
いじわるばあさんが、すずめのお宿からもらってきたつづらをあけると、お化けがニューッ(朝日・夕刊・一九七三年二月一六日)
 H銀行T支店通用口から若い男がヌーッとはいってきた。(毎日・一九七二年四月八日)
 この他、「ニュッ」の語もある。これらの語は、速度はあるが、音の出ないひそやかな動作を表し、次節で述べる現在のものと対照的である。
 
また、動作のテンポが緩やかであることを示す語群も頻出する。
   この奇策、功を奏し、ノソノソ出てきたところを逮捕したが、(朝日・一九七二年四月一八日)
まったく、みんなの見ている前で、ノコノコ黒板に出ていったわが子が、汽車を気車と書いたり、(朝日・一九七二年九月一七日)
 ふんぞりかえってコートをノッシノッシ、超一流の選手をどなりまくる。(サンケイ・一九七二年八月一二日)
 成功するとスタンドに一礼、手をあげてこたえてから、ノソリノソリと舞台裏へ退いてゆく。(読売・夕刊・一九七二年九月七日)
 この他、「ノッソリ」「ノッソリノッソリ」「ノラクラ」「ノラリ」「ノロリノロリ」がある。いずれも動作がゆっくりとなされることを表している。
 
これらの三〇年前にのみ見られる行動様式を表す語は、現在でも忘れ去られたわけではない。使用が避けられているだけである。つまり、現在では三〇年前の遠慮深く、音を出さずに密やかに、ゆったりテンポで行うという行動様式に価値がおかれていないためだと考えられる。


 一〇 過激にすばやく豪快に
 では、現在の資料にのみ見られる行動様式を表す語は、どのような特色をもっているのか? 現在は、いささか過激に手早く豪快に行うことを示す語が頻出し、一つの特色をなしている。まず、手早く行う様子を示す語は、たとえば、
○絆創膏貼ってても何でも、シャッシャッシャッと担いでいきますよ。(週刊現代・二〇〇〇年一二月九日号)
 
「シャッシャッシャッ」は、手早く機敏に重いものを担いでいく様子を示す語。さらに過激になると、
○ニュースをダダダッと読む。(朝日・夕刊・二〇〇一年一月九日)
 
「ダダダッ」は、ニュースを矢継ぎ早にこなしていく様子を表す語。迫力あふれるスピード感がある。
ドアを開けたら九人ほどの男たちがドドドーッ雪崩れ込んできた。(SPA!・二〇〇〇年一二月二七日号)
 「ドドドーッ」は、音を伴った速さと迫力を持った行動様式を表している。野球の試合で猛然とホームへ走りこむ音や様子は「ダダダダ」(週刊現代・二〇〇〇年一二月九日号)、部屋を勢いよく飛び出していく音や様子は「ダダッ」(週刊現代・二〇〇〇年一二月二七日号)、会社に遅刻しそうな時に猛烈なダッシュで走る音や様子は「ダッダッダッ」(週刊現代・二〇〇〇年一二月三〇日号)、最後の格安商品を目指して主婦たちがなだれ込むさまは、「ドドドドド」(朝日・二〇〇〇年一二月二四日)。
 また、豪快に動作を行うさまを表した語には、次のようなものがある。
○このようにアツアツのご飯の上に上半身と下半身の二つに切られた超長身アナゴが並行に並んだのをわしわし食うというのは初めてだった。(週刊現代・二〇〇〇年一二月九日号)
〇「もしかするとアナゴは余市に限るかもしれないぞ」などとひと言申し述べ、がしがしと食らいついた。(週刊現代・二〇〇〇年一二月九日号)
 
三〇年前に、「わしわし」「がしがし」食べたら、顰蹙ものである。
○そんなこんなを、ブッハァーと飲んで忘れるのが、この忘年会の季節。(女性自身・二〇〇〇年一二月一九日号)
 
「ブッハァー」は、女性が思う存分飲んで酔ったときに吐き出す息を模写した語。同じ意味で使った「プッハァー」の言い方もある。「ブッハァー」には、男と同じ振る舞いの許された開放感と迫力がある。
 さらに、女性も、辞表を上役に「しぺーん」とか「しぱーん」(SPA!・二〇〇〇年一二月二〇日号)と叩きつけて思いっきりよく会社をやめようとしている。それがかっこいいことなのである。男も「ジャンジャンバリバリ」仕事をこなすのがいいことなのである。
 
くしゃみの音も、「ヘックショイ」(朝日夕刊・二〇〇〇年一二月一六日)。従来の「ハックション」のような透明感はなく、濁って下品で迫力がある。最近では「ヘークッシャンウエー」(朝日・二〇〇一年六月一六日)の言い方まである。これは、中年女性のくしゃみの音。くしゃみを表す擬音語も、迫力を増している(注6)
 これらの新出の擬音語・擬態語は、遠慮せずに、過激にすばやく豪快に行動することを良しとする時代の価値観を反映しているように思われる。


 一一 時代の文物・価値観を映し出す
 たった三〇年間に擬音語・擬態語が激しく入れ替わった。入れ替わった擬音語・擬態語は,三〇年間に変化してしまった文化・社会・価値観を鮮明に映し出していた。
 
三〇年前の日本には、安普請の木造建築のきしみ音が響き、胸の底に染み渡るような電車の音がし、街には下駄の音や馬の轡の音まですることがあった。茶の間には、時を刻む時計の音がした。はたまた手で引く鋸の音、ガラス瓶や窓ガラスの壊れる音が人間的なぬくもりを感じさせながら響き渡っていた。
 
ところが、それから三〇年経った現在、日本人の生活は、あらゆる面で機械化された。車の保有率が高くなり、我々はどこにいても車のエンジン音に取り囲まれている。生活の隅々まで電子音が入り込み、「ピッ」「ピピッ」「ピピピ」「ピンポーン」「ピーポー」「ピコピコ」とP音を耳にし続けている。人の心を癒すロボット犬まで誕生し、「ピロピロピー」と電子音を発して鳴く。時代の文物は、物音を写す擬音語に敏感に投影されていた。
 さらに、擬音語・擬態語の変化は、人々の価値観の変化を明らかにしてくれた。三〇年前の人々は、粘りつくようなものの様子も素直に描写し、逆に気持や笑い声は控え目に表していた。行動様式は、遠慮深くゆっくりと音をさせずに行動することに価値をおいていた。 ところが、三〇年経過した現在、人々は粘りつくような状態を嫌い、ストレス解消のために意識的に大声をあげて笑い、喜怒哀楽をストレートに発散させるようになった。行動は、迫力ある音を立ててすばやく豪快に行なっている。それを良しとする価値観が背後に存在するからである。
 擬音語・擬態語の推移を分析してみると、変化の側面は時代を映す鏡になっていることが明らかになってきた。実は、調査をする前には、新陳交代をしている擬音語・擬態語がこれほどまでに時代の文物を映し出し、時代の価値観をあらわにしているとは思わなかった。変化した擬音語・擬態語の分析は、流行語以上に着実に、時代の文化・社会・価値観を解明するのに有益なのであった。
 
本稿では、全く触れなかった変化の側面がある。それは、擬音語・擬態語の語型(語音構造)の変化である。三〇年前には隆盛を誇っていたのに、現在では衰退しつつある語型がある。たとえば、「キリキリッ」「クラクラッ」「ズルズルッ」などの「ABABッ」型。逆に、三〇年前には見られなかったのに、現在使用される語型がある。たとえば、「ズンッ」「ピンッ」「コンッ」などと、撥音で終わる語形に促音をつけて強調する「Aンッ」型。また、「ンザー」「ンガ」などと撥音で始まる語型の出現である。
 今回は、意味面に焦点を合わせて変化の側面を追うことが目的であったので、これらについては全く触れなかった。語型の変化については稿を改めて述べてみたいと思う。


(注4)「プッツン」の語は、1986年頃に流行語として認知されているが(吉田光浩「近・現代流行語年表」『国文学』4214号・1997年12月)、その後も衰えることなく、現在では自制心を失った時の気持ちを表す語として定着し、市民権を得ている。
(注5)「朝日新聞」1998年12月5日に「かたかたする」が、若者言葉として既に普及していることを示す記事が出ている。
(注6)四コマ漫画では、「へっぺひょん」という変わったクシャミが笑いをよぶものもある。日向茂男「オノマトペの魅力」(『月刊言語』226号・1993年6月)参照。                                 (完結)