『源氏物語』男と女のコミュニケーション
山口仲美



 女だけが使う言葉は?

 『源氏物語』の女性たちというと、十二単に身を包み、なよやかな立居振舞をするエレガントな女性がイメージされます。そして、話す声も大声なんかじゃなくて、小声。しかも息を吸い込むようにして話す。だから、使う言葉も男性とは違っているんじゃあないか
って思いますよね。事実、いままで婉曲な表現は女性特有であるとか、自分をさす「ここ(現代語でいえば、『わたくし』という感じの語)」の語は女性だけが使う語だとか、禁止表現の「な…そ」という優しい言い方は女性特有とか、さまざまなことが言われてきました。
 私も、女性だけが使って男性は使わないという女性特有語があったら、いかにも平安貴族の女性らしくて面白いなあと思って調査してみたことがあるんです。『源氏物語』の会話文に注目して、女だけが用いる言葉を抽出しようとしました。結果は見事に裏切られました。
 今まで女性特有語とか女性特有表現といわれているものは、『源氏物語』の会話を丹念に調べると、男性も使っているんですよ。女性特有の言葉と言われているものは、女か男かっていう性別ではなくて、単にパーソナリティや場面に左右されているだけの言葉だったのです。
 たとえば、「ここ」は女性が、「まろ」は男性が使う語だと言われていたんですが、すべての用例にあたってみると、男女の区別なくどちらの語も使っている。ただ、折り目正しい人だったり、同じ人でも公的な場面になると「ここ」を使う。一方、くだけた人柄であったり場面になったりすると、「まろ」が使われるという違いなのですね。決して性別によって使い分けのある語ではなかったのです。
 でも、性別によって使い分けのある語はやはりあるんじゃあないかと私は粘ってみました。確かに男性だけが使う言葉はたくさん見つかるんです。「そもそも」「はなはだ」「なにがし」とかの語は、男性しか使わない。


 「まま」は女性語

 なのに、女性だけが使うという言葉はなかなか見つからない。必死に探したんですけど、たった一語だけ、見つけて終わりになってしまった。その語は、「まま」。普通は、「めのと」という語で表すんですが、「まま」は、「亡くなったまま(=乳母)が言い残していらしたこともありますので」などの文脈で女性だけが使っている。「まま」以外の女性特有語は私には見つからなかった。
 そこで、観点を変えて、コミュニケーションのあり方からとらえたら、男女差がつかまえられるんじゃあないかと考えてみました。まだ誰もそんな調査をしていないので、凝り性の私は『源氏物語』を男と女のコミュニケーションという立場からとらえるという試みをしてみました。そしたら、違いが出てきたんですよ。今日のメインテーマは、この話。


 会話の主導権を握るのは?

 現代ですと、日常会話では、女から会話をはじめても不自然ではありません。むしろ、おしゃべりな女から話しはじめる方が多いんじゃあないかと思えるほどです。
 では、『源氏物語』に見る男と女の会話はどうか? どっちから話し始めるのか? 恋人や夫婦関係の男女の会話場面を228ほど採集して調査してみました。すると、話の口火を切っているのは、93%が男性だったのです。男性が、常に会話をリードしている。会話のイニシアチブをとっているのは、男なんですね。男性であれば、身分が女性より低くても会話の口火きりをしているのです。
 女性が、会話の口火を切る時は、残りの7%。しかも、ごく特殊な場合に限定されています。たとえば、夫が浮気をしていると感づいた時とか、臨終におよんで男性に言い残す必要に迫られた時といった、心理的に追い詰められた時に初めて女性が会話の口火切りをしています。「ここをどこと思っていらっしゃったの!」 これは、朝帰りをした夫に妻がまず会話の口火を切った場面です。こういう時は、まさに緊急事態。切羽詰った感情がほとばしり出て、会話の主導権を獲得している場合です。あと、女性が会話の主導権をとっているのは、宮仕え女の場合です。これは、職業柄、男に話し掛けるのに抵抗感がないわけです。こんなふうに、女性が会話の口火切りをする時は、特殊な場合に限られています。228場面中211場面は、男性が主導権を獲得し、会話をリードしています。現代とずいぶん違っています。


 態度で表わす女たち

 現代女性を観察していると、絶対、女の方がよくしゃべる。事実、同じ時間内にどれだけの言葉を発したかという調査を男女別にやって平均をとると、女は男の1.5倍も多くしゃべってますね。
 ところが、『源氏物語』の会話を観察していると、男の方が会話の分量が多い。はて、どうしたことか? じっくり観察してみますと、女は、言葉で返事をする場合ばかりではないんです。言葉を発せずに態度で答えている。
 会話ですから、男が何か言ったら女が答え、また男が発言して、とピンポンのようにすすむと普通は思いますね。ところが、平安時代の女たちは、言葉を発しないで態度で応答する場合がかなり多い。だから、会話の分量が少ないんですね。これは面白かった。 女性は、平均して5回に1回は言葉じゃあなくて態度で表わしている。そういうコミュニケーションのとり方が認められていたのです。
 たとえば、光源氏が紫の上とはじめて結ばれた翌日のこと、光源氏が紫の上の機嫌をとって、一生懸命なだめすかす言葉を発しているのですが、紫の上は「全くお返事をなさらない(=つゆの御いらへもしたまはず)」とある。言葉による返事を全くしないでいる態度が、光源氏への返事なのです。
 拒否する気持を、「頭を横に振って」という態度で答えにしている女性、「頷く」態度で、答えにしている女性、「泣く」ことで答えにしている女性。女性の中で、この態度応答をしていない女性はいないのです。言葉による応答ではなく、態度による応答がいかに女性のコミュニケーションのとり方として認められていたかが分かります。今だったら、「泣いてばっかりいても分かんないでしょ! はっきり言いなさい」と叱られそうなコミュニケーションのとり方です。
 男性の方は、態度によるコミュニケーションは許されていないらしく、常に言葉で会話を進めています。時代によって、良しとされるコミュニケーションのあり方が違っている。今は、女性もはっきり言葉に出して言うことに価値のおかれている時代なのですね。


 愛の告白

 愛の告白も、現在では女からすることも少なくないし、別に恥かしいことでもありませんよね。でも、『源氏物語』では、愛の告白表現は、男性のみが口にするものです。そもそも、求愛からして常に男から始めるわけです。男がまず女性に歌を送って求愛する。直接対面の場になっても、男が女に求愛の言葉を述べる。「親しい言葉を語り合う人がほしい。そしたら辛い世の悪夢も覚めるかもしれない」と。契り合った後も、愛の変わらぬことを誓うのは、男性です。「あの常盤木のように、僕の君を愛する心は変わらないよ」などと。
 たまさかにかなえられた女との逢瀬で、愛の真実を訴えるのも男です。「こうしてお会いできても、またお目にかかれる夜は稀。いっそこの夢の中に僕はこのまま消えてしまいたい」と。これは、光源氏が藤壺に語った愛の絶唱。
 愛の未練表現も男の口にする表現です。今は人妻になってしまった女三宮に柏木はこう語りかけています。「今は言っても甲斐のないことだけれど、年月が経つにつれてあなたへの思いが募り、こうしてお目にかかってしまった」と。
 求愛の表現からはじめて、愛の告白、愛の誓い、愛の未練、こうした愛情にかかわる積極的な発言は、すべて男性の表現なのです。


 拒否する態度と表現

 現代の女性は、自分の好きなタイプの男性から求愛されたり、愛の告白をされたりしたら、「待ってました」とばかりに素直に喜び、受け入れるのが普通です。
 でも、平安時代の高貴な女性たちは、まずは拒否します。たとえば、明石の上。彼女は、光源氏ほどの人に普通は声もかけてもらえないほどの低い身分の女性。にもかかわらず、光源氏に求愛されても返事をしないのです。態度による拒否表現です。光源氏が寝室に入って愛の言葉を投げかけても、彼女は「お話することは出来ません」という拒否の言葉を返しています。契りを交わすまでは、拒否の態度や表現で応じるのが、当時の女性の普通のやり方です。
 最も信頼できる庇護者と思っていた夕霧から、いきなり恋心を打ち明けられた落葉宮も、夕霧を「浅はかな方」とまで言って拒否しています。
 当時の女性は、いきなり男性に寝込みを襲われ口説かれることもあります。女性付きの女房を男性が自分の味方にしてしまえばその女房の手引きで女性の寝室に侵入することが出来るからです。また、油断をして女性側の人間が鍵をかけ忘れていたりすれば、男性が侵入することが出来ます。たとえば、人妻の空蝉。たまたま同じ家に泊まり合わせ、勝手が分からないために鍵をかけ忘れ、光源氏にかき口説かれました。光源氏は目もくらむほどの美男子。身分も高い。その光源氏が甘い言葉を洪水のように浴びせかけます。「何年も前からあなたのことを思っていたんです」と。でも、空蝉は「人違いでございましょう」と、柔らかな拒否表現で応じています。「とても気分が悪くて。こんなに気分が悪くない時にご返事しますから」と、体調の悪さにかこつけ、相手を和めて女性が拒否する場合もあります。
 常に受身でしかありえない当時の女性としては、拒否表現は極めて重要な女性の表現なんですね。


 愛すればこそ

 男性は、拒否する女性をなんとかものにして、関係を結んだ後、どんな表現を口にしているでしょうか?
 まずよく質問を口にします。関係が出来た後、相手が人妻だったりして秘密裏に関係を続けなければならない時には、「どうやって、あなたにお便りを差し上げたら、いいだろうか?」と、男は女に質問を投げかけます。この手の質問は、密会の別れ際には男性の発する常套表現です。
 また、男性は愛する女性が自分をどう見ているのかが気になります。「昨日の私の舞いをいかがご覧下さったでしょうか?」と、光源氏は藤壺に尋ねています。愛する女性の評価こそ、男性の最も聞きたい事柄の一つです。
 また、光源氏が外出すると聞いて、すっかりふさぎこんでしまった愛らしい紫の君に「僕がいない時は、恋しいかい?」と、聞いています。
 また、薫は、浮舟と契りを結んだ後、 彼女に質問しています。「琴は少しおひきになりますか?」 琴の上手に弾けない浮舟には辛い質問ですが、薫は彼女を教養ある女性に仕立て上げてやりたいんですね。男たちは、愛する女性に絶えず質問をしては、相手の女性をよりよく知りたい、相手の女性の心を確認したいと思っているのです。その証拠に、男たちは、問題にするに足りない宮仕え女やしっくり行っていない妻に対しては質問表現をしていないのです。愛すればこその質問表現なのです。
 同じように、女性に教えたり言い聞かせたり要求したりする表現も男性の口にする表現パターンの一つです。光源氏・夕霧・薫・匂宮など、男性たちは、いずれも教え・言い聞かせ表現を使って女性たちをリードしています。「女は気だてが素直なのがいいんだよ」とか、「気の持ちようで、人はどうにでもなるんだよ。心の広い人は幸せも大きい。心が穏やかでおっとりした人は寿命の長い人が多いのですよ」と。
 あるいは、「嘘を言って聞かせる人の言う事など、聞き入れなさるな」とか「僕に従ってください」とか「お湯を召し上がれ」などとという要求表現も男性は使っています。女性をリードするのが男性の役目だったのです。


 上手に嫉妬

 受身の立場にある当時の女性たちは、拒否表現のほか、時には相手の男性の発言に柔らかく反論したり、異論をとなえたり、逆に同調や同意を表現したりすることに特色があります。
 また男性が結婚前に恨みの感情表現をするのに対し、女性は結婚後に恨みの感情表現をするという面白い傾向もありました。当時は一夫一妻多妾制ですから、結婚後女性は常に不安定な立場におかれています。夫に新しい愛人が出来たと察知するや否や、夫の心をつなぎとめねばならないのです。そのためのうまい嫉妬表現が必要なのです。焼けぼっくいに火が付いた光源氏に、妻の紫の上は涙ぐみながら、こう言っています。
 「ずいぶん若返ったお振舞いですこと。昔の恋を今さらむしかえしなさるので、寄る辺のない私としてはつらくて。」
 嫉妬心から、夫に灰を浴びせかけた女性もいますが、これは失格。ますます夫の心は離れます。上手に嫉妬表現のできることが女性に求められていたのです。
 『源氏物語』を男と女のコミュニケーションから読んでいくと、平安貴族の男性優位の社会構造が顕著な形で浮かび上がってきます。『源氏物語』は、むろん、フィクションを加えた物語。事実そのものとは違った面があります。でも、平安時代の他の物語で確認してみると、『源氏物語』ほど鮮やかではありませんが、男性優位のコミュニケーションのあり方は同じです。では、庶民階級の男女はどうだったのでしょうか? 私の次の研究課題の一つです。

(上記の文は『ぶっくれっと』153号、2002年3月掲載のものです。)