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味と味覚を表す語彙と表現
山口仲美 |
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1 これはおいしい!
食べタレが、マンボウのひと切れを口に入れる。しばし口の中で味わい、目を中空に据え、ウンウンとうなずき、
「ウーン、これはおいしい!」
と、ひとこと。あとにも先にも、マンボウの味に関する感想は、これですべて終了したのである。
バカか、こいつは。(あ、いや、違った、このお方
は)(東海林さだお『タコの丸かじり』朝日新聞社)
東海林さだおの憤りがそのまま伝わってきそうな文章である。冒頭の「食べタレ」というのは、食べ歩き番組に出演するタレントのこと。味を言葉で表現するのは難しいが、取材班一行を伴って南の方までわざわざ珍味のマンボウを食べに行ったのだ。市場に出回ることなど考えられない幻の美味の魚なのだ。視聴者も、マンボウとはどんな味なのか固唾を呑んで見守っていたのだ。せめてそれに少しでも答えるような表現の工夫をしてほしい、というのである。もっともな発言である。
一般に味や味覚を言葉で表現するのは難しいと言われている。その理由は、それを表す語彙が少ないからであるという。だが、果たして本当に少ないのか? 実際にはどのような語がどのくらい存在するのか? グルメばやりの昨今、「味」表現でそれなりの成功を収めるにはどのような工夫が必要なのか? これらのことを以下に述べていきたいと思う。
2 「味」と「味覚」
「味」を表す言葉と「味覚」を表す言葉は、どういう関係にあるのか? 「味」と「味覚」という語自体に若干の意味の違いが感じられるのであるから、それを表す言葉にも異なるものがあると考えるのが道理である。
藻魚の一種であるアコウの味も優れている。
(魚谷常吉『味覚法楽』中公文庫、1991年)
「味」の箇所を「味覚」にしてみると、意味が通じなくなる。「アコウの味覚」とは言えない。「味覚」は、人間の感覚に名づけられた五感の一種だからである。それに対して、「味」は属性的な意味合いを持っているから、「アコウの味」と言えるのである。
また、「味がいい」という言い方と「味覚がいい」という言い方を考えてみると、その違いは顕著である。「味がいい」の「味」は、事物に備わっている性質のように捉えた場合の表現である。一方「味覚がいい」というのは、「味」を見分ける人間の感覚器官の優秀さを述べている。聴覚・視覚・嗅覚・触覚に並んで捉えられる五感の一つの「味覚」を褒めているのである。
したがって、「味覚」を表す言葉というのは、人間の感覚で捉えられた感じそのものの表現であるのに対し、「味」を表す言葉というのは、「味覚」によって感じられた属性面の表現なのである。物に備わっている性質のようにとらえられるに至った表現が、「味」を表す言葉なのである。
こうした観点から言うと、次のような語が「味覚」語彙と認定される。抽出に使用した資料は、『類語例解辞典』(小学館)、『学研国語大辞典』(学習研究社)、『分類語彙表』(秀英出版)である。
あまい あまったるい あまずっぱい
しょっぱい からい しおからい
にがい ほろにがい しぶい えぐい えがらっぽい
すっぱい すい あまずっぱい
からい
「からい」を二度掲出したが、最初の「からい」は、塩気を感じる場合であり、後ろの「からい」は、舌にぴりつく辛味を意味している。
このほかに、以下の三語も「味覚」語彙に含められよう。
うまい おいしい まずい
これらは、食べ物を口に入れた時に感じる総合的な評価語である。「味覚」語彙に特に加えるべきだとする説もすでに出ており、ここでも「味覚」語彙としておくことにする。
以上の語は、人間の感覚によって感じられる「味覚」語彙である。ただし、これらの語彙は文脈によっては物の属性的な「味」をも表す語彙ともなる。たとえば、「この葡萄はすっぱい」の「すっぱい」は、口に入れたときに感じる「味覚」表現である。ところが、「すっぱい葡萄」と言えば、「すっぱい」は葡萄の属性面を表現した「味」の色合いを帯びる。
さらに、「すっぱい」を名詞にして「すっぱさ」とすると、もはや物に備わった「味」の表現と認められる。「葡萄のすっぱさ」と言えば、「すっぱさ」が、葡萄のものと捉えられていることに気づくであろう。
このように「味覚」語彙と「味」語彙とは重なり合って連続しており、実際の語彙面では区別しがたい場合も多い。こうしたことを承知の上で、敢えて両者を分かち、次に「味」語彙を列挙してみる。抽出は、「味覚」語彙と同じ資料から行った。
美味 佳味 滋味 珍味 風味
うまさ うま味 おいしさ
まずさ
甘味 甘味 甘さ 甘辛 甘口
塩味 塩味 塩気 甘塩 薄塩
苦味 苦さ 渋味 渋さ えがらっぽさ
酸味 すっぱさ あまずっぱさ
辛味 辛さ 辛口
大味 小味
後味
無味
隠し味
薄味 薄口 濃い口 こく
これらは、「味」を表す専門用語として生まれたものであるが、「味」を表す語には、以下のような語も無視できない。
薄い あっさり さっぱり 軽い 淡白 淡々 水っぽい 水くさい
濃い 濃厚 こってり しつこい くどい 重い
まったり まろやか
軟らかい 硬い
これらの語は、他の様々な状態をも表し、「味」の専門用語として生まれたかどうか定かではない言葉である。しかし、「味」を表すときに活躍する語群である。
「味」や「味覚」を表す語彙は、以上に列挙したことからも明らかなように、一般に考えられているほど少なくはない。特に、「味」を表す語彙はむしろ多い。これらを使いこなせば、「バカか、こいつは」とまで言われなくて済んだのである。
それでもなおかつ、料理を褒める語彙が少ないと主張される向きがあるかもしれない。確かに「うまさ」語彙は少ない。しかし、多くはない「うまさ」語彙を巧みに使用している場合もある。以下、「うまさ」を表現するためには、どのような工夫が必要なのかを述べていくことにする。
3 「うまさ」を表す語を使う
まず、第一には「うまさ」語彙を総動員することである。
その美味を知る人は少ない。…あのうまい皮とともに啜ってもよし、頬肉のみを取り出し、用意した酢をつけていただいてもなかなかの珍味である。
(魚谷常吉『味覚法楽』中公文庫、1991年)
オコゼの頬肉のうまさを記した箇所である。「美味」「うまい」「珍味」と、僅か数行のうちに異なるうまさ語彙を使っている。うまさ語彙が多くないとはいえ、総動員すれば、変化が付けられるのである。
さらに「うまさ」を表す褒め言葉を一般語からどんどん援用すればよいのである。
しかしながら、この味の優れているのはまったく病みつく結構なもので、ことに濃厚な味覚を喜ぶ現代人の口にはよく合う。
(魚谷常吉『味覚法楽』中公文庫、1991年)
豚の脛のうまさ表現である。「優れている」「結構な」という一般的な褒め言葉を使って料理の味を褒めることだってできるのである。この種の語なら、「格別である」「申し分ない」「最高」などと次々に思い浮かぶはずである。くだけた場面では、「いける」「乙」などの語も使える。
美食家で有名でもあった谷崎潤一郎も、「味」の褒め言葉が豊かである。
獲りたての鮎を骨ぐるみ輪切りにして味噌の雑吸いの中へ落す。とてもたまらない味だったといわれて、聞いている私は口の中へよだれをためた。
(谷崎潤一郎『料理の古典趣味』)
「たまらない」という一般語を「うまさ」表現に援用している。
料理のうまさは、うまさ語彙を総動員させるほかに、一般的な褒め言葉を使用するという手もあるのである。
4 「うまさ」を説明する
さらに、料理のうまさは、「うまさ」語彙や褒め言葉を使わなくても、説明することによって十二分に伝わる。
これが、第二の工夫である。
味も独特でひんやりと舌がすずしいような感じがする、そしてその甘さは軽やかなのに深く舌にしみこむ。
(雁屋哲作・花咲アキラ画『美味しんぼ』3巻、小学館)
上質の白砂糖「和三盆」のすがすがしい甘さを、ヒットしたコミック『美味しんぼ』は、傍線部のように説明している。説明に用いた語は、「味」語彙ではなく、一般語である。
また、見田盛夫は、東京上野の「うさぎや」のどら焼きのうまさをこう説明している。
姿形色調はいうまでもない。皮はすうっと上まで気泡が通って、適度の弾力と軟らかさを保証している。…食べて切れがよく、しっとりとしながら、しかも歯にまとわりつくことがない。
(見田盛夫『味の切り口』駸々堂、1988年)
「適度の弾力」をはじめ、傍線を付した箇所はいずれも「うまさ」を説明している箇所である。甘い物好きに一度は食べてみたい気を起こさせる。
このように「味」を具体的に説明することで「うまさ」を表すことも出来るのである。
5 「うまさ」を例える
第三に「うまさ」を、たとえによって表現することである。グルメ本の多くは、この手法も愛用している。次例は、東海林さだおが桜肉のうまさを表現したところである。
馬肉の特徴は、何といってもその軟らかさにある。
筋ばったところや、歯に引っかかるものが何もない。ただひたすら軟らかい。鶏のササミのようであり、牛刺しの脂のないところのようであり、マグロの赤身のようであり、鯨のようでもある。
(東海林さだお『タコの丸かじり』朝日新聞社) 桜肉の、筆舌に尽くしがたいうまさを「鶏のササミ」「牛刺しの脂のないところ」「マグロの赤身」「鯨の肉」と矢継ぎ早に例えを出して説明している。あまり、例えを出されるので、いささかイメージがわかないという欠点はあるが、それほど微妙な味だと言うことは読者に伝わってくる。それじゃあ一つ食べてみるかという気にさせる。
美味とか何とかを通り越しとる快感や、口の中の官能の全てを刺激して、大の大人をここまで深い愉悦に引きずり込みよる…(雁屋哲作・花咲アキラ画『美味しんぼ』3巻、小学館)
吉野葛で作った苦心の和菓子の味を褒めている箇所である。味が擬人化され、人間を深い愉悦に引きずり込むというのである。比喩の中の隠喩の一種である。
「味」の良さを表現するには、このような比喩を使う手法も効果的である。
以上、「うまさ」を表現するための三つの工夫を述べてきたが、これらを一辺に使って見事にそのうまさを表現している例を挙げて、この稿をとじることにしたい。
今まで食った頬で、最もうまいと思ったのは、メバルという六、七寸の魚の頬で、肉は締まり、繊維は長く、噛みしめて甘味がある。そのうえ、骨離れのよさ、発育十分な処女の頬の味もそのようなものかと思われる味である。
(魚谷常吉『味覚法楽』中公文庫、1991年)
「うまい」「甘味」という「味覚」語彙・「味」語彙を使い、さらに、そのうまさを「肉は締まり、繊維は長く」と説明し、最後に「発育十分な処女の頬の味もそのようなものかと思われる」と比喩を用いている。うまさ表現の工夫の限りを尽くした手本である。この記述を読んだら、食道楽の男性は、まず間違いなくメバルの頬肉に憧れを抱くであろう。
(注1)荻昌弘「どんなお味?」(『言語生活』315 号、1977年12月)、座談会「食―神との関わり と人の営みの中で」(『言語生活』382号、198 3年10月)など。
(注2)従来、「味」語彙と「味覚」語彙とは区別せず に論じられていることが多い。
(注3)「味覚」を表す語彙と、他の感覚を表す語彙と の間には、「共感覚比喩」という現象が見られ、興味 深い。国広哲弥「五感を表す語彙―共感覚比喩的体系 ―」(『言語』1989年11月、18巻11号)参 照。
(注4)小幡弥太郎『日本人の食べ物』、松本仲子「美 味しさの科学」(『言語生活』382号、1983年 10月)、石毛直道「味覚表現語の分析」(『言語生活』 382号、1983年10月)参照。
(注5)ここでは、食べ物の「味」を表す言葉を中心に 列挙し、酒などの飲み物の味わいを表す言葉は除いて ある。きき酒用語については、筧寿雄「きき酒のこと ば」(『月刊言語』18巻11号、1989年11月)、 松浦照子「酒を味わう言葉」(『日本語論究3 現代 日本語の研究』(和泉書院、1992年)参照。
(注6)矢澤真人「現代の新しい感覚語彙から見えるも の」(『月刊言語』18巻11号、1989年11号)
(i以上は、『日本語学』19巻6号、平成12年6月掲載の論文です。)
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