『暮らしのことば 擬音語・擬態語辞典』序文

山口 仲美


国語辞典に載らない言葉
擬音語というのは、現実の世界の物音や声を私たちの発音で写しとった言葉です。たとえば「ほーほけきょー」「がたがた」。擬態語というのは、現実世界の状態を私たちの発音でいかにもそれらしく写しとった言葉です。たとえば、「べったり」「きらきら」。
こういう言葉は、普通の国語辞典には載りにくい。ちなみに「こけこっこー」という擬音語をあなたの手元にある小型の国語辞典で引いてみてください。出てきませんね。では、『広辞苑』クラスの大型国語辞典を引いてみてください。やっぱり出てこなかったでしょう? 「うはうは」「かっくん」「がっぽがっぽ」「がはは」「じゃかじゃか」「ずでん」「にゃんにゃん」でも、同様です。こうした擬音語や擬態語は、日常よく使われるにもかかわらず、普通の国語辞典には載りにくい言葉なのです。何故でしょうか? 理由は、三つ。一つは、日本人なら辞書を引かなくても意味がわかる。二つは、生まれては消える流行語の側面を持った擬音語・擬態語は辞書に載りにくい。三つは、いささか品に欠ける言葉なので辞書に載せるのは憚られる。
 でも、擬音語・擬態語は、日本語に豊富に存在し、日本語を特色づける言葉なのです。分量から言っても、欧米語や中国語の三倍から五倍も存在しています。擬音語・擬態語は、ほんとうに辞典で解説するまでもない言葉なのでしょうか?

日本語を学ぶ外国人と翻訳者を悩ませる
 実は、日本語の擬音語・擬態語に大いに悩まされている人々がいます。日本語を学ぶ外国人と日本語を他の言語に翻訳する人たちです。日本語の相当うまい外国人でも、擬音語・擬態語は苦手です。日本語の達者な留学生が腹痛で医者に行ったら、「しくしく痛むの? きりきり痛むの?」 と聞かれてとても困ったと訴えます。「しくしく」と「きりきり」の意味の違いが全く分からなかったそうです。擬音語・擬態語は、発音の響きが意味に直結しています。だから、日本語の中で育った人には感覚的に分かる言葉なのですが、そうでない環境に育った人には意味の類推がきかない。そこで、最近では外国人のための擬音語・擬態語辞典が出ています。
また、翻訳者たちも嘆いています。日本語を英語や中国語に翻訳しようとすると、日本の擬音語・擬態語に該当する語が存在しないことが多い。そこで、仕方なくそれに近い普通の語に置き換えて翻訳するのですが、そうすると日本の擬音語・擬態語の持っていた情緒が失われてしまうと言います。日本語の擬音語・擬態語は、翻訳者泣かせの言葉なのです。そのため、近年擬音語・擬態語翻訳辞典のような辞典も刊行されています。
こうして、現在刊行されている擬音語・擬態語辞典は十数種類ありますが、@日本語を学ぶ外国人のためか、A翻訳の便宜のためかのいずれかの目的のために作られたものです。日本人が読んで「なるほど」と納得するような擬音語・擬態語辞典はまだ刊行されていないのです。

背後に歴史のある解説
そもそも日本人にとって、擬音語・擬態語というのは、そんなに自明の言語なのでしょうか?
「こけこっこー」という鶏の声一つとりあげても、われわれ現代人の知らないことがたくさんあります。われわれは、鶏の声を昔から「こけこっこー」と聞いていたと思いがちです。でも、「こけこっこー」と聞くのは明治時代からにすぎません。江戸時代では、鶏の声を「とーてんこー」と聞いていたのです。夜明けを意味する「東の天は紅」と書いて「東天紅(とーてんこー)」と読ませ、鶏の声としていたのです。屁(おなら)で「とーてんこー」と鶏の鳴き声をまねる見世物まで出現し、大繁盛していました。こんなことを解明して解説していけば、日本人も知らなかった深みと豊かさのある擬音語・擬態語辞典が出来るはずです。背後に歴史のない解説は、実用には耐えますが、文化史の厚みを添えてくれません。
歴史の重みを背負った擬音語・擬態語辞典の必要性に気づいたのは、今から十年程前に拙著『ちんちん千鳥のなく声は─日本人が聴いた鳥の声─』(大修館書店)を刊行した時でした。拙著は、予想を越えて多くの新聞やテレビで採り上げられました。それまで一顧だにされなかった擬音語の歴史に、豊穣な日本の文化史が息づいていることに驚きを示してくれたようでした。文化史の透けて見える擬音語・擬態語辞典をつくりたい、それは私の念願でした。

こうした経過で
平成十二年秋のこと。講談社の編集者高橋光行さんから言葉に関する単行本を出さないかというお話をいただきました。私は、単行本ではなく、念願の『擬音語・擬態語辞典』を提案しました。辞典作りの大好きな高橋さんは忽ちこの話にのってくれました。まず、最近の新聞・雑誌一ヶ月分を収集し、それを基礎資料にして項目の選定を行いました。一人で執筆するのは時間的に無理ですので、十三人の方に協力していただきました。執筆者陣は、月一回集まってはコンセプトを統一し、原稿の質を揃えるという作業をしました。基礎資料では不足している用例は、執筆者各自が独力で調査し補い、新しい事実の解明に力を注いで原稿を書いてくれました。編集部の高橋さんは、原稿の催促、読みにくい箇所の点検を徹底的に行ってくれました。こうして、ここに皆の力の結集である『暮らしのことば 擬音語・擬態語辞典』が誕生しました。
この辞典に花を添えて下さったコミック作家の赤塚不二夫・あさりよしとお・上田まさし・うえやまとち・東海林さだお・蛭田達也・松本零士の諸氏には心より御礼申し上げます。
二〇〇三年一〇月一〇日                   山口仲美

(『暮らしのことば 擬音・擬態語辞典』講談社、2003年11月1日刊行の「はじめに」より)