『内から見た日本語』

山口 仲美


内から見た日本
「外から見た日本語」という講演に続きまして、今度は「内から見た日本語」の話をいたします。「外から見た日本語」で明らかになる事柄も多いのですが、「現代日本語」の姿しか観察できないという欠点があります。それを補い、さらに現代日本人も知らなかった事実を解明していけるのが「内から見た日本語」の観点なのです。内から見ると、日本語の変わり行く姿をとらえることができます。それが、「内から見た日本語」の一つの強みであります。では、以下、私の研究してきたさまざまの言葉のうちから、具体的に五つの言葉を取り上げて、日本語の移り行く姿をとらえてみることにします。

(一) 鶏の声を写す言葉─昔の語形を知ることができる─
現代日本語では、鶏の声を写す言葉は、いうまでもなく「コケコッコー」。でも、これは、明治時代からの言葉にすぎないのです。昔の日本人は、鶏の鳴き声を現代人とは違った言葉で写していたのです。なんていう言葉で写していたのか? 
江戸時代の日本人は、鶏の声を「トーテンコー」と写していたのです。そして、「東天光」とか「東天紅」という漢字を当てていたんですね。どうです、この当て字? すばらしくウイットに富んでいますでしょう? 鶏が時を告げるのは、夜明け。東の天が光に包まれてくる時、もしくは、東の天が紅に染まる時です。この鶏の声は、当時よほど一般的だったらしく江戸時代の初めの国語辞書『書言字考節用集』にも、「東天光(トウテンクヮウ)―鶏の暁の声―」って出てくるんですね。擬音語は、めったに国語辞書に掲載されないのに、載せられていることから、いかに広く知れわたっていたかがわかります。そして、結構面白い聞き方ですから、江戸の人も喜んで使っていたのだと思います。その証拠に、「にわとり屁」なんて言って、おならで「トーテンコー」と鳴き声を真似てみせる見世物まであった。風来山人の『放屁論』にこうあります。「次がにはとり、東天紅をブブブーーブウと放り分け」。見目良き男が、「にわとり屁」をして見せるので、両国橋のほとりの見世物小屋など大入り満員だったそうです。
江戸時代では、「トーテンコー」を少しひねって笑い話に仕立てることさえあります。寛政八年(1796年)に刊行された『詞葉の花』に出てくる話。
 裕福な家の息子が、十七、八歳の美しい娘を妾にしていた。二人で庭を眺めていると、隣の家の雄鶏が、雌鶏を追いかけて庭に入ってきた。なかなかいい雌鳥だ。雄鶏は、娘の顔を見て「いい娘だの」と思う。息子は雌鶏を見て「欲しいものだ」と思う。すると、雄鶏が「トッケイコー(=取替えっこ)」と鳴いたとさ。
「トーテンコー」をひねって「トッケイコー」と聞いて、笑い話に仕立てたのです。江戸時代は、こんなふうに鶏の声は、タ行音で聞くのが主流なのです。では、その前の室町時代以前は? 「カケロ」という言葉が、鶏の声として最も一般的。「鶏はかけろと鳴きぬなり」という神楽歌も残っています。
 こんなふうに、内から見ると、日本人がさまざまの聞き方を経て「コケコッコー」という言葉に至ったという、日本人自身も予想しなかった事実が明らかになるのです。

(二) 「キス」「キッス」─昔の表現を知ることができる─
今は、「キス」という言葉も少し古くなったようですね。「チュウ」の方が、市民権を得てきているようです。「お父さんとお母さんは二人でチュウして、おはなししてねんねしてね」(「朝日新聞」2000年12月15日)と新聞にも出てきますし、しばらく前のテレビCMでも、「ねぇ、チュウして」とありました。「チュウ」という擬音語は、「キス」「キッス」よりもかわいい感じがして、受け入れられやすいんでしょうね。
しばらく前は、「路チュウ」なる語も流行ったくらい。私の友達など、「路チュウ」を「路上駐車」の略語だと思い込んでいました。「路上でキスすること」と、私は得意ぶって教えてあげました。
さて、これからお話しするのは、あの行為を表す言葉の変遷。「キス」「キッス」は、現在最もオーソドックスな言い方です。「奥さんも…膝の上の八百子ちゃんの頬にキスをした」(長与喜郎『竹沢先生と云ふ人』)とか、「さうして、可愛くて堪らぬと云った風に、子供の頬にキッスするだらう。」(葉山嘉樹『海に生くる人々』)と、文学作品でも堂々と使われています。
この「キス」「キッス」という言葉は、言うまでもなく、英語のKissをそのまま受け取り、外来語として定着したもの。だから、明治時代から生じた言葉です。とすると、それ以前は、あの行為をどういう言葉で表していたのでしょうか?
「口づけ」「接吻」? 違います。これらの言葉もkissの翻訳語として表れた言葉です。だから、「口づけ」「接吻」も、明治時代以後の新しい言葉。「詩人の優しき頬に交る交る接吻(くちづけ)して」(国木田独歩『星』)、「帽子をとりてエリスに接吻(せっぷん)して楼を下りつ」(森鴎外『舞姫』)などとありますけれど、すべて明治時代以後の作品。
江戸時代には、あの行為を「口口する」「口をする」「口を吸う」と表していたのです。たとえば、「大橋とくちくちするで候」(『幼稚子敵討』)、「口口の契りはいやかと追廻し追廻し」(『猿丸太夫鹿巻毫』)などと「口口(する)」が見られます。「この間にちょっと口せう口せう」(『伊勢音頭恋寝匁』)という具合に、「口をする」も見られます。
でも、最も一般的で、古くから使われてきた言葉は、「口を吸う」です。平安時代の『土佐日記』にすでに「口を吸う」の例が、見られます。「ただ押鮎の口をのみぞ吸ふ」と。これは、船旅で男どもが恋しい人に会えないので、仕方なく押鮎の口を吸っている、と『土佐日記』の作者がふざけて記述している箇所。実際、人の口を吸っている例もたくさんあります。平安末期の『今昔物語集』にも、「久しく葬送することなくして抱きて臥したりけるに、日来(ひごろ)を経るに、口を吸ひけるに、女の口より奇異(あさまし)き臭(くさ)き香の出来たりけるに」(巻19第2話)と出てきます。愛していた女が死んでしまい、恋しさに耐え切れずに「口を吸う」と、「女の口より奇異き臭き香の出来たりける」。男は、世をはかなんで出家しましたとサという話に出てくるものです。
江戸時代でも、「口を吸う」が最もよく使われた表現です。「口を吸ふ 時に困ると 天狗言ひ」という川柳もあります。そうだろ、そうだろと妙に納得してしまいますね。(笑い)
「外から見た日本語」ですと、「キス」「キッス」「チュー」という現代語しか分からない。内から見ると、日本人は西洋文明の影響を受ける前は「口を吸う」なんていう即物的な言い方をしてきたんだとか、江戸時代には、そのほか「口口する」「口をする」なんていう言い方もあったんだ、という面白い事実が明らかになるわけです。

(三)「愛する」─意味の変化が分かる─
なんだか色っぽい言葉ばかりを取り上げていますが、私はその他いろんなことを研究しているんですよ(笑い)。ただ、今日はお祝いの講演で、理科系の方々をはじめ広い分野の方々がお越し下さっていますので、人間的なものがいいかと思いまして、こういう言葉を取り上げております。
「愛する」という言葉は、現代では、精神的な意味合いも強く、口に出しても少しも恥ずかしくない好感度の高い言葉です。「誰よりも誰よりも君を愛す」と、歌手の松尾和子さんも歌ったではありませんか。「愛されてますか、奥さん!」なんていうCMもありました。「愛する」という言葉の好感度が高いから、CMにも使われるんですね。
ところが、「愛する」という言葉は、実は明治時代まで、肉欲的な意味合いが強く、決してプラスイメージの語ではなかった。たとえば、昔は、こんなふうに使います。「むかし、男ありけり。女を思ひてふかく籠めて愛しけるほどに」。平安時代の『俊頼髄脳』に出てくる例です。女を部屋に閉じ込めて「愛する」とありますから、撫で摩ったりする行為を表しているわけで、かなり肉欲的です。
こんな例もあります。「今夜、まさしく女のもとに行きて、二人伏して愛しつる顔よ」(『今昔物語集』巻31第10話)。これは、浮気をして帰ってきた夫を責める奥さんの言葉。「二人で寝て愛した」というのですから、「愛する」は肉欲的な行為を意味しています。『今昔物語集』には、「かく獣に成るに、子を愛し悲しびしによりてかかる身をも受けたるなり」という例も見られ、本能の赴くままに「子を愛する」と、仏罰を受けて獣に生まれてしまったとも書かれています。
要するに「愛する」行為は、明治時代以前は、決してほめられた行為ではなかった。どちらかというと、マイナスのイメージを持つ語であったんです。ところが、明治時代以後、キリスト教や西洋文学の影響によって「愛する」に精神的な意味が加わって変化した。たとえば、聖書には「神もしなんぢらの父ならば、なんぢら我を愛すべし。」(『新約聖書』明治13年刊)とある。「愛する」という言葉に、崇高な精神的な意味が加わってきたのです。
こうして、「愛する」という言葉が、実は意味変化して現在の、好感度のある言葉になったということが明らかになります。現代語だけ見るということは、言葉の推移の一断面を見ているに過ぎないことが分かります。

(四) 「達者」と「達人」─交代劇を知ることができる─
現代では、「達者」というと、技術面でのみ優れているという意味合いが感じられます。たとえば、「ミチ子は達者な英語でそう答えた」(小島信夫『アメリカンスクール』)のように。それに対して、「達人」は、その道を極めた人という意味合いが感じられる言葉です。
「これが武州一円の達人とおそれられている六車宗伯か」(司馬遼太郎『燃えよ剣』)というように。
「この人は英語が達者でねえ」と「この人は英語の達人でねえ」という二つの言い方を比べてみると、余計にその違いが明らかでしょう。
ところが、昔は、「達者」という言葉が、その道を極めた人という意味で使われていたんです。「達人」という言葉も存在するには存在していたのですが、漢文訓読という特殊な世界だけで用いられており、世間一般には知られずにひっそりと生きていた。例を挙げて見ます。「末代には諸道の達者は少なき也」(『今昔物語集』巻24第23話)。平安時代の例です。「達者」が今の達人の意味を持っていますね。良いイメージの語です。「達者」の語は、この意味だけを担当することで満足していれば、よかったのですが、大きくなりたがるのが世の常です。意味の世界も例外ではありません。
「達者」の語は、その道を極めた人という意味だけでは、満足せずに、室町時代に意味の拡張を図りました。「かねがね達者なものでござったによって」(虎寛本狂言『塗師』)のような「元気」の意味も持った。もう一つは、「劫は入りて耳はなき故に、達者にのみなる人おほしとなり」(連歌論集『ささめごと』)に見るように、技術的に優れているの意味も持った。すると、もともとの「その道を極めた人」という意味の担当がいつしか手薄になった。その隙を突いて出たのが、じっと特殊な世界で身を潜めていた「達人」の語だったのです。「達人」に、その道を極めた人という意味領域を分捕られた「達者」は、今では、「元気」とか「技術的に優れている」という意味だけを担当しているという状況になったのです。
こんな面白い交代劇も、現代語だけ見ていると、全く察知することが出来ません。「内から見た時」にだけ明らかになる、言葉の世界なんです。

(五)「太っ腹」─最先端の意味の変化がつかめる─
私たち中年以上のものは、「太っ腹」と聞くと、小さいことにこだわらない器の大きな頼もしい人を想像します。事実、手近にある国語辞書を引いてもこう出てきます。「度量の大きいこと。小さなことにこだわらないようす」(『新選国語辞典』)。これが、辞書的な意味でもあり、中年以上のわれわれの考える意味です。
ところが、若者たちに聞くと、「太っ腹」は、「気前がよくておごってくれる人」のことをいうのだと言います。「彼女は、昨日宝くじに当たったということで、やけに太っ腹であった。いつもはケチなのに」。こんなふうに使うと、口を揃えて言うのです。「太っ腹」の意味が音もなく変化し始めているようなんです。
まあ、もともとは、「太っ腹」は、「馬の太った腹」を意味していました。現在からは予想もつかないような意味だったんです。「深さ、馬の太腹になむ立つなる」(『今昔物語集』巻25第9)のように使っていたんですね。それが、江戸時代には、人間の腹の太いこと、つまり妊娠したりして腹の出ていることを意味するようになった。「またしても またしても下女 太っ腹」(『柳多留』)のように使いました。さらに、抽象的になって、人間の度量の大きさを意味するようになった。「思いのほかふとっぱらの女郎なり」(『不粋照明房情記』)のように、使うようになったんです。
こうしてみると、「太っ腹」という語は、馬の腹、人間の腹、度量の広さ、とめまぐるしく意味を変化させてきていることが分かります。そして、現在は、さらに、「気前のよさ」という意味に変化し始めているようなのです。
内から日本語を追究すると、こうした変化の穂先までつかまえることが出来るのです。

本日は、内から日本語をとらえると、@日本語の語形が変わる、A表現が変わる、B意味が変わる、C交代劇が起こる、D変化の兆しがある、などのことを明らかにすることが出来るという話をいたしました。言ってみれば、日本語の変化の姿を具体的な形でつかむことが出来るという魅力に満ちているのです。「外から見た日本語」と「内から見た日本語」は、日本語研究にとって車の両輪なのであります。(了)
(以上の内容は、『日本・アジア研究』埼玉大学大学院文化科学研究科博士後期課程紀要創刊号に掲載したのもです。)


博士後期課程開設記念講演 (2003年7月4日)に、「内から見た日本語」と題して講演をしました。「外から見た日本語」とペアで行われた講演です。