古典文学に関する話題をQ&Aの形式で記しています。
月一回更新予定です。
Q. 私は、口に出す言葉が強いらしく、相手を時々傷つけてしまいます。古典文学にもそんな人がいるんでしょうか?(12/14更新)
A. どんな人でも自尊心は持っています。その自尊心を傷つけられる言葉を相手に言われれば、外に表すかどうかは別にして、嫌な気持になるものです。
 それが恋の告白タイムに起こったら、相手に嫌気がさすというものです。そういう例を、『源氏物語』から紹介してみましょう。
 夕霧という男性がいます。光源氏の息子なのですが、父には似ず、実直で実務肌の男性です。彼は、妻以外の女性には目もくれず、円満な家庭生活を築いてきました。複数の妾妻を持つことが社会的に認められている貴族階級の男性としては珍しい存在でした。
 ところが、中年になって、彼は、妻とは全く違ったタイプの女性に恋をしました。皇女で、親友の妻だった女性です。親友が若くして亡くなり、寡婦になった彼女を物心両面から支援しているうちに、いつしか恋心が芽生えるというお定まりのコースなのですが、なにしろ浮気一つしなかった律儀な男です。
 情を交わすにしても、彼女の同意が必要だと考える堅物です。けれども、残念ながら、女性経験が足りなすぎて、彼女を思うように口説き落とすことができないでいます。
 まずは、自分のようにきまじめで頼りになる男に靡かないのは思慮が浅いと言って彼女を責めました。彼女は、身を任せるとは言いません。彼は、次に、もう我慢ができないから彼女の気持ちを踏みにじるような行為をするかもしれないと言って脅しました。彼女は、ますます身を堅くしています。彼はじれて、ついにこのうえなく彼女の自尊心を傷つける言葉を吐いてしまいました。
 「あなたとて、まるで、男をご存じないわけでもありますまいに」
 (世の中をむげにおぼし知らぬにしもあらじを)
 これほど、女を侮辱する言葉はありません。女に結婚の経験があるから近付きやすいと少々あなどっている男の気持が伝わるからです。そうでなくても、彼女は、皇女のプライドを持っています。気高く独身で通すこともできたのに、父帝のすすめもあって、ふつうの女のように、たいして地位も高くない臣下と結婚したのです。それだけならまだしも、その結婚は惨めでした。夫に嫌われ、冷たく扱われていたのです。あげくのはては、その夫にも先立たれ、不幸な皇女の例として、人々に噂され、笑われているのです。ですから、彼女は、結婚したこと自体が誤っていたと思っています。夫を持った経験があることを言われるのが、彼女にとって最も辛いことなのです。
 一番触れられたくないことを、最も屈辱的な言葉で、まさに口説きの真っ最中に言われたのです。彼女が、彼の言葉に泣きぬれ、求愛を拒んだのは当然です。相手の自尊心を傷つける言葉は、恋の場面ならずとも、できるだけ口にしたくないものですね。

(以上は私の本『言葉の探検』(小学館)の第五章「まずいこと言っちゃった」の一部です。)
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